23/05/2023
「日本の動物園水族館を根本から考える」会主催
(公社)日本動物園水族館協会後援
タイトル:日本の動物園・水族館を根本から見つめ、見直す連続講座
◆自己紹介かたがた、企画の趣旨について
私はかれこれ20年近くにわたり、法学者として動物政策、とくに自然生態系保全政策や希少種・絶滅危惧種保護政策、またその裏側にある外来種問題や動物愛護・福祉政策についての研究調査に取り組み、また自治体や国に対して法的、政策的助言等を行ってきました。ここ数年は、主に野生動物由来の感染症といった公衆衛生行政やOne Health One World の分野にまで関心を広げています。現在は日本動物園水族館協会(以下、「JAZA」という)の顧問を務めるほか、令和3年に登録された奄美・琉球諸島や小笠原諸島といった世界自然遺産登録地の法政策的アドバイスも行っています。
私は生態学などの動物科学の門外漢ですが、「法」という窓から、すなわち外側から動物園や水族館(以下、「動物園等」ともいう)、そしてそこに飼育・展示される動物を眺めています。そうした立場から見たとき、日本の動物園・水族館は、海外の園館とそれを取り巻く法制度の在り様と照らし合わせても、問題山積のように感じています。
動物園・水族館はその役割を果たしているのか
JAZAの公式見解として挙げられている動物園・水族館の社会的役割(使命)とは、①種の保存、②教育・環境教育、③調査・研究、④レクリエーションの4点です。しかし、④はともかくも、①~③の実効性(実現可能性と持続可能性)について、我が国は如何なる制度設計をしているでしょうか。平成29年に種の保存法が改正され、希少種の保護増殖という点で一定の基準を満たす動植物園等を環境大臣が認定する「認定希少種保全動植物園等制度」が立ち上がりましたが、令和4年4月の段階で認定された施設は11しかありません。令和4年6月1日現在、JAZA加盟園館が140(動物園90,水族館50)で、非加盟園館は確固とした統計データが存在しない(そもそも「動物園」の定義が存在しないので統計のしようもありません)ものの約500存在するといわれます。つまり、この国でいわゆる「動物園・水族館」とされる事業者が600以上もあるにもかかわらず、種の保存において国から認定された事業者が11しかないことになります。実に1.7%です。ほぼゼロといっても過言ではありません。これは当該法制度の使い勝手の悪さといった問題もあるでしょうが、動物園等の設置者、経営者の意識や姿勢も問われなければならないと、私は考えています。
現在、地球環境は危機的状況にあるといわれ、実に1日に約100もの種が絶滅しているとされています。1年に換算すると約4万種がこの地球上から消滅していることになり、これは100年前と比べると約4万倍以上のスピードだそうです。世界動物園水族館協会(WAZA)は、「世界動物園水族館協会持続可能性戦略2020-2030」として、上述のOne Health One World の視点に立った野生動物保全戦略を打ち出しました。日本ではどうでしょうか。
国内法における園館の定義と世界基準の理念
動物園や水族館は、動物愛護管理法上は第1種動物取扱業に属し、同法に基づく許可処分を受けなければなりません。では、動物園の主務官庁は、環境省の愛護室(動愛法の所轄行政庁)でしょうか。しかし、動愛法はおよそ野生動物をその適用範囲にしておらず、野生動物の所管は鳥獣保護管理法や種の保存法ですから、これは環境省のなかでも「野生生物課」の所管になるはずです。ですが、動物園は博物館相当施設とも位置づけられているので、今度は文化庁が所管する博物館法が登場します。しかるにその一方で法の世界で「動物園」という名称に出くわすのは都市公園法があり、これは国土交通省が所管する法律になります。しかし、さすがに国交省が動物園の主務官庁のはずはありません。つまり、いまの日本の法体制は「種の保存」において重要な政策主体にならなければならないはずの「動物園等」をキチンと制度設計していないわけで、その主務官庁すらはっきりしていないのです。これでは我が国の種の保存(生態系保全)政策に実効性が担保されないばかりか、現在園館で飼育されている動物の福祉(animal welfare)に至っても、各園館のお手盛り(自己満足)に陥りかねません。ましてや我が国は、「愛護」と「福祉」を混同する嫌いすらあり(その証拠に改正動愛法では、数値規制という客観的科学的データ、基準に基づくはずの規制基準を、「愛護」といった人の主観をベースとした法のなかに規定してしまっています)、その延長上にはイルカショーの存続議論もあるわけです。
この問題は、日本の動物政策に関する制度のあり方、政策の方向性の話ですが、常にグローバルな視点が要求される問題でもあります。すなわちその国がよければよいという問題には留まりません。野生動物を含む地球環境保全の問題とはボーダレス――異文化との対話なのです。イルカショーを肯定する人々は、当該ショーが合法であり、イルカ漁からのイルカ導入も漁業法や水産資源保護法といった国内法に照らし合わせて、全く以って合法であるから問題ないと主張します。しかし、当該問題の本質的論点は、国内法において合法か否かが問われているわけではなく、国際世論やグローバル的視点に立った基準に照らしてどうなのかという点なのです。この問題は原発や戦争、あるいは死刑の是非論と共通の理念を有するのです。繰り返しますが、その国でよければいいという問題ではないし、国際協調主義を意識する問題であり、延いては先進国たる我が国の国際信用力が試される問題なのです。
各有識者と法学者による連続講座を
この連続講座は、以下のようなテーマについて、まずは私から話題提供を行い、現在の我が国の法制度上の状況を踏まえて論点整理をします。そして、私が投げかけた問題と課題(話題)について有識者にご講演をいただき、そのあと、フロアからの質問も受け付けながらフリーディスカッションを展開したいと考えます。私はこの講座で自分の考えを押し付けるつもりはありません。私は動物園等関係者でもないですし、ましてや動物科学の門外漢です。しかるにこの講座は、単なる教養講座でもありません。この国が抱える問題を「動物」を通じて、いっしょに考え、悩み、そして一つの方向性について議論する場としたいと考えます。講座参加においては、とくに資格は問いません。このテーマにご関心のある方なら、どなたでも大歓迎です。また動物園、水族館の飼育員や獣医師等関係者の方々にもぜひ積極的に参加していただきたいです。どうぞご協力のほどをよろしくお願いいたします。
◆共同企画者より(動物園ライター・森由民)
動物園を文学作品、たとえば小説に比定するなら、動物園人は小説家ということになるでしょう。そして、来園者は読者です。ならば動物園ライターは、と問うなら、それは文芸批評の立場であるというのが、わたしの考えです。批評家は作者ではなく、常に作品の外部にいながら、文学の営みを啓発することばを編むべき立場です。実際に、動物園をテクストと見なし、文芸批評のやり方で論じてみようというのが、わたしの書き方の基本です。
批評は科学ではなく、文学なり動物園なりの現実の姿やあるべき姿について客観的な答えを提示するものではありません。しかし、ただの趣味判断から自らを引き離すには、論理的であることが必要と考えられます。
これ以上の「動物園批評宣言」への深入りは控えますが、そのようなわけで、動物園をめぐる言説を、何とか批評的な対話、すなわち論理的なやりとりとしていきたいというのが、わたしの問題意識です。私観として、現在の日本社会にそのような議論を交わす土壌が十分に培われているかと言えば、多少なりとも疑問を感じています。動物園・水族館をめぐり、いろいろな言説がありつつも、いまだ、互いの拠りどころを説得的に語り合い、論じあう場が乏しく映るのです。
今年6/6には札幌市で、共同企画者の諸坂佐利さんも関わり、動物福祉を掲げた日本初の動物園条例が可決され、日本の動物園・水族館の将来に向けて、これから国際的な潮流も睨んでの議論が必要となると思われます。これを機に、法学者としての諸坂さんを核に、まずはそういう前提(動物園についての批評的・論理的語らいの場)を明確に打ち出した講座を創りたいと考えております。論じあい語りあう中で、何かの方向性が見えてくれば何よりですが、まずは結論を求めることより、議論を成立させることを主眼にしたいと考えております。そして、そのために、自らを明確に語り、他と論じあう見識を備えた、皆様のお力をこそ恃みたいと考え、以下のラインナップを組ませていただきます。
【第1回 「愛護」政策、その歴史、文化、動物「福祉」とのちがいについて】
https://peatix.com/event/3588679/view