10代の頃、大学進学を目指す兄から譲ってもらったレース鳩をペットとして可愛がっていました。「レース鳩」とは、放鳩地から参加者各自の鳩を飼育している鳩舎までの距離を正確に測定し、一番早く到着した鳩のこと。約21年前に開催された「第1回国際サクセス・レース」で私は、世界一になりました。
今日は少しだけレース鳩で世界一になって転機をつかんだ私のお話をさせていただきます。
アメリカ統治下にあった沖縄で育った私は、古き良きアメリカに感動とわくわく感を抱いた少年でした。いつかアメリカの地に足を踏み入れたいと思っていました。大学卒業後、本格的に始めたレース鳩がキッカケでレース鳩飼料の代理店として沖縄県前島に〈OPF〉の原点となる「前島バードセンター」を妻と二人三脚で開業しました。もちろん可愛い3人の子供にも恵まれました。
約30年前にアメリカ・テキサス州に住んでいたある日系人男性からの1本の電話がなりました。のちにこの電話がペットフードとペット用品の輸入販売をするきっかけをくれるとは夢にも思っていませんでした。
その彼はアメリカの鳩レース協会に所属していており、私の情報が向こうでも評判になっていたとか。彼と知り合いになることで、憧れのアメリカがずいぶんと近い存在になりました。
当時35歳。
バブルがはじけて間もないころ「何とかこの機会を利用して、今まで夢だった輸入のビジネスをしたい」と決意。夢と希望を持って小さいころから憧れていたアメリカに向かいました。
レース鳩飼料の沖縄代理店をしていた経験を生かして、ペットフードを輸入できないかと考えました。日本では犬を家族の一員として家の中で共に生活するという常識がない時代です。
その当時、日本に比べてアメリカは、ペットフードの種類が豊富。
今までに見たことがない、夢のあるペット用品は実用的なものばかり。
アメリカ国内でペットフードを購入できる卸先を手当たり次第探しましたが、そう簡単には見つかりませんでした。日本に帰国する前日、カリフォルニア州にあるFarmers Warehouse Co. (ファーマー社)の3代目から連絡が入り、取引をしてもいいと言われました。実は、あの1本の電話をくれた日系人男性と3代目は知り合いだったのです。
沖縄に帰国後、輸入のイロハも知らない私は、独学で輸入を学びました。今では笑い話ですが、ある港で捨てられた商品もいくつかあります。
使い古しの白い貨物車で家族を連れてドライブに行きながら、ペットショップやブリーダーさんたちをターゲットに輸入したペットフードを訪問販売しました。その努力と情熱が少しずつ受け入れられるようになっていきます。
これがOPFのはじまり。。。
それから数年後、ペットブームが起き、時代が流れ、インターネットの時代が到来しました。輸入商品があまり珍しくない時代です。輸入の規模も大きくなり、アメリカはもちろん、ドイツとフランスからもペットフードとペット用品を輸入するようになりました。
全国販売の時代がやっとOPFに到来します。
私は、なお一層本格的にペットの健康を考慮したペットフードの輸入、実用性があるペット用品のセレクト、環境に優しい製造法、そして弊社のように家族経営をする会社との取引をすると決意。
それが、冒頭でお話しした自分の思い描いていたビジネスビジョンです。日本全国にOPFが厳選して輸入してきた商品を提供したい。
「宝探しと同じこと。世界各地を周り、今までに見たことのないモノを見つけた時のワクワク感と感動をみなさまに与えたい」
レース鳩との出会いからはじまり、そこで素敵な出会いがあり、それが小さい頃からの憧れだったアメリカと繋がり、さらに新しい出会いがある。
これも宝ですよね。ワクワク感と感動は人生にとって大事だと思いませんか?
これからも、この理念を大事にしながら商品を選び、みなさまにお届けしていきます。
OPF代表者
新嘉喜 浩