野菜直売所 かなんな農園の朝市 河南菜農園

野菜直売所 かなんな農園の朝市 河南菜農園 無農薬(まったく使いません。) 無肥料(年に数回米ヌカをふりまく程度。) 耕しもせず(竹炭を入れるためにショベルを使うときがある。) 水やりもしない(雨と露で十分。) 農法でとれる野菜を販売中。

31/07/2024

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2024年7月29日(土)
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今日はこの作文でなにを伝えたいのかまだはっきりしていない。

その時になにを感じたのか、自分の心のどこに矛盾を感じるのかまだはっきりしていないけど、自分の人生の1ページに残る出来事だったので作文開始しようと思う。

散文になるにちがいない。

それではまいります。

ぼくら家族は土曜日に和歌山県のビーチに遊びにいった。

磯ノ浦ビーチという、サーファーの多いビーチだ。

お昼ご飯を自宅で済ませて、自宅をでたのが14時頃。

車にボディボードを積んで、ビーチに向かう道すがら、家族は全員車のなかで気持ちよさそうに寝ていた。

高速道路から降りてビーチもほど近い距離になったころ、コンビニに入っていつもは禁止されているジャンクフードを食べて小腹を満たした。

さあこれでいまから3時間ぶっつづけで遊んでもお腹は大丈夫、もつはずだ。

ビーチのそばの駐車場に車をとめて、アイドリングしながら車内で手早く着替える。

この時点では、ほんとうになんの違和感もなかったし、いつも通りだった。

水着に着替えて、防波堤をこえて砂浜におりる。

磯ノ浦ビーチはほんとうに感じのいいビーチだ。

砂浜や海岸はもちろん自然のものだから、岩があったり、草が生い茂っていたりするビーチもある。そういうビーチは海水のところへいくまでに自然の怖さを身近に感じるものだが、ここ磯ノ浦ビーチはそういうところがほとんどない。

駐車場から防波堤を超えて砂浜にでるとなんの障害物もなく、海水まで到達できる。

土曜日の磯ノ浦はなかなかいい波がたっていて、いわゆる膝腰の高さの波がたっていた。

それでもかなり遠浅の砂浜なので6歳の次女も安心して水遊びができる。

いまから思えば少し違和感があったかなと思い返すのが、多少の波があったとはいえ、長女が波をこわがっていたことだ。

長女はいま12歳で、ぼくとボディボードで遊びはじめて6年くらいはたっている。その間にはもう少し大きめの波のときもあったし、波に飲まれることもあった、波に飲み込まれるのも楽しんでいた印象だったが、土曜日はなぜかすこし水につかったくらいのときから長女は「ちょっとこわい」と話していた。

もうこのときには近くに死に神がいたのかもしれない。

ぼくにはまったく死に神なんて感じられないが、やはり子供はなにか感受性がちがうのかなといまとなれば思う。

異変が起こったのは5時をすぎて、おそらく6時に近い頃だったのではないかと思う。時計がないので何時かは確認できなかったが、太陽の傾きかたから察するに6時か6時すこし前といった時間だったのではないかと思う。

ぼくの目に映った異変とは、海のなかのそれほど深くない場所でサーフボードが異様にたくさん集まってるのが目に入った。

サーフボードはそれ自体が凶器になるため、海のなかでサーフボードが密集している状況はほとんどない。

それなのにそのときはサーフボードが誰の手からも離れている状態で4枚から5枚くらいプカプカ浮いているようだった。

その場所までぼくは50mくらいの距離にいたと思うが、サーフボードに体重がかかっていないと、波に煽られて傾いたりひっくり返ったりするので、すこし遠目でもなにか異常なことを察知できた。

長女に海からあがって次女とお母さんを待つように指示し、異常なほうへ近づいていった。

近づいているときに、陸のほうに駆けていく男性がいたので、救急車を呼ぶのかどうかを確認した。救急車を呼びにいくとの返答だったのでぼくは再び異常なほうへ歩み寄る。

60歳くらいの男性が意識を失っている状態で他の男性にかつがれている。

かついでいる男性の必死な形相から「当事者」なのが感じられる。

そのそばには二人の女性。女性のうちの一人は看護師であることをもう一人の女性が教えてくれた。

その場にいる全員が意識のない男性を砂浜に運ぼうとしている。

海水はふともものあたり。

その全員のサーフボードがそれぞれの腕や足にリーシュコードでつながれていて、ずっとそばを漂っている。

漂うだけでなく、波であおられて救助活動を妨げる。

そのときにはすでに60歳男性の右脇に入り、当事者の男性と両脇からかつぐ態勢ができあがっていた。

看護師ではないほうの女性に、ぼくのリーシュコードをはずしてボードを砂浜に運んで欲しい旨を伝える。

その後の彼女の行動は確認していないが、全員分のボードが砂浜に並べらているのに気づいたのはもっとあとだ。

歩みは遅いが着々と意識のない男性を砂浜のほうへ運んでいく。

この瞬間も、この瞬間から30分後も、ぼくはこの男性の意識が戻るとずっと考えていた。

ぼくが加勢してからは、格段にスピードアップし、もうすでに波が届かない場所まで到達している。

看護師の女性の意見で、砂が乾いている場所よりも多少濡れているこの場所のほうがいいということになり、ぼくらはそこに男性をおろす。

おろすと同時に看護師の女性が心臓マッサージの態勢に入る。

濡れた砂のうえに膝をつく。
片手を水月に添えて、その上からもう片方の手を置き、一回、二回と心臓マッサージ。

その二回で看護師はウェットスーツが邪魔なことを確認。

脱がす、という彼女の短い命令で、ぼくらはそれぞれの持ち場につく、一人は左手、一人は右手、ぼくは左手の腕時計をはずす。

意識のない人間の両腕をウェットスーツから引き抜くのにこんなに時間がかかるのか。

信じられないような長い時間が過ぎていく。

看護師は脈を確認していたが、なんど測っても脈はないような表情をしていた。

やっとの思いで両腕をウェットスーツから引き抜き、引き抜くと同時にまた看護師の心臓マッサージがはじまる。

心臓マッサージはものすごい体力を消耗するのだとぼくはここで痛感する。

看護師の心臓マッサージがすこし精彩を欠きはじめたからだ。

その瞬間、近づいてきた男性がかわるための意思表示をした。

ぼくが彼女は看護師なんだと伝えると。

彼は自分は医師ですと伝えた。

医師の心臓マッサージが始まる。ときどき人工呼吸も織り交ぜる。

この日のぼくのなかでの一番の後悔は、この人工呼吸をぼくが担当しなかったことだ。

救助活動というものが人生で初めてだったぼくは、それをぼくがやるべきなのかどうかも判断できなかった。

でもつぎはやる。やってだめなら叱られて終わればいいのだから。

この頃には1台目のAEDが到着し、心臓マッサージをする医師の横で準備をし始めたが、AEDは作動しなかった。

だれからともなく、AEDをさがしてきてくれという声があがり、数人が駐車場のほうへ走っていく。

医師の心臓マッサージも消耗してきたころ、消防士だという二人組の男性が交替して男性の横に膝をついた。もう一人は男性の頭のほうへしゃがみ、男性のあごの骨のあたりに指をいれるような感じで、なかば固定するような、なかば脈をはかるような態勢をとった。

まさにプロの仕事だ。

消防士が心臓マッサージをし始めた頃、急激にまわりの雰囲気が冷えていく。

日没。

ぼくはこの時点でも救命を疑わなかったが、医師や看護師、消防隊員にはもうすでに救命には至らない何かが見えていて、その雰囲気が急激に空気を冷やしていたのかもしれない。

その冷えた空気は磯ノ浦ビーチ全体を覆っていた。

救命活動に携わった者、近くで見ていた者、遠巻きに見ていた者、そのことに気づかずサーフィンを楽しんでいた者、磯ノ浦ビーチにいた全員がその冷えた空気に覆われていた。

喜怒哀楽ではなく。

生と死の間の静けさとでも言えるだろうか。

ぼくの場合はその空気のなかに無力感を介して入った。

これほど浅い知識で生きてきたのかと痛感し、ゆるやかな風に体を冷やされて、ぼくはその冷えた空気の中に入っていった。

ある程度の時間が経過した今でも、その空気はぼくのまわりにあるように感じる。

ぼくらは全員いつか死ぬ。という空気がぼくのまわりにいまもある。

とくに不快とは感じない。

むしろこの空気が身近にあることのほうがいいとさえ思う。

でも死ぬのはこわい。

死ぬときに痛いから怖いのか?

死ぬ時は痛いのか?

愛しているものに会えなくなるのが怖い。

いい経験だったなんて口が裂けても言えないが、このことをいつも胸のあたりに携えて生きていこうと思う。

17/07/2024

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2024年7月17日(水)
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今朝は午前7時から大阪府立高校に仕事にいってきた。

いまから書くことは、その高校にいた一時間程度の感想文のようなものだ。

午前7時ちょうどから始まったその仕事というのは、園芸用の土を納入する仕事だった。

家庭科の女性教諭と数人の生徒が、校舎裏の余った敷地を利用して、菌ちゃん農法をするための土を納入してきた。

はじめにその女性教諭と校門のところであいさつを交わし、どこにおろすのか、トラックの位置は、ウネをつくる場所は、など簡単に説明をうけた。コミュニケーションはどれもスムーズだった。

途中、校長先生もあいさつに来ていただき、笑顔であいさつをすることができた。校長先生のブログに載せるということで、女性教諭とそのとき隣にいた生徒一人の三人で記念撮影もした。

そのやりとりはどれもさわやかだった。

自分のことしか考えない人間とのやりとりに関して百戦錬磨の川崎はそういう人と話していたらすぐに気づく。

彼らはそういう人じゃなかった。

家庭科の女性教諭もそうだが、この校長先生もしっかりと矢印は他人向きになっていると感じた。

その矢印はおそらく学校の生徒へ向けられているのだろうと思う。

そういうふうにぼくが感じたのは、生徒たちがけっして楽ではない土おろしの作業を手伝ってくれていたときだ、これから授業を受けなければいけないというのに、汗だくになりながらぼくの作業を手伝ってくれたのだ。

彼らはなんだかんだと話しながら、楽しそうに慣れないショベルを使って働いていた。

そのなかの一人は毎日アルバイトをしていて、自分がいくであろう専門学校の授業料をためているのだそうだ、コンビニでアルバイトをしていて、夜22時以降は高校生は働くことができないこと、うれしいこともあれば、嫌なお客に辟易することもあることなどを教えてくれた。

もう一人の生徒は控えめの性格なのかなと感じたが、とるべきコミュニケーションは普通に的確にとることができた。けっして派手な性格ではないにもかかわらず、ボクシングをしているのだと教えてくれた。好きでやっているのか誰かにやらされているのかは聞くことができなかったが、かれの大胸筋はたしかにアスリートのものだった。

手伝ってくれている男子生徒二人との共同作業の30分間で、ぼくは心から彼らのことをかわいいなと感じた。ぼくが高校生だった頃、いろいろな人からかわいいねと言われたけど、当時はその気持ちがまったく理解できなかった。

でもいまはその気持ちがよくわかる。

容姿がかわいいとかそんなことではなくて、いろいろな話をしたり聞いたりするあいだに素直さが垣間見えて、その素直さがかわいくてしかたなくなるんじゃないかと思う。

そうやって大人は話しすぎたり、説教じみたことを言ってしまったりするのかもしれないなと感じた。

そう、ここでやってはいけないのが、多くを話しすぎること。コミュニケーションの大半を聞くことにまわさなければいけない。

そこでぼくは今日、彼らに伝えることをふたつに絞った。

▼重いものを持つときどうすれば腰を痛めずに済むか。
▼汗をかいたとき、塩がどれくらい役にたつか。

この二点に絞って、これを説明するときは300文字以上を話すこともあったが、それ以外のときは50文字以内の質問になるように心がけた。

それがうまく伝わったかどうかを確認する方法はもうないが、それを伝えているときの、彼らの笑顔や態度、言葉、その素直さに、ぼくの愛情だけは伝わったんじゃないだろうかと思う。笑

彼らがそんなふうに育っているのは、ひとえに今朝出会った女性教諭や校長先生のように、縁の下で支えてくれている人たちのおかげなのだろうと思う。

社会はこういう人たちで成り立っている。

ぼくは彼らとはまったくちがう場所でまったくちがう仕事をしているが、100年後を生きる子供たちが立つ場所を、下で支える人間でいたいと、改めて考えることができた快晴の1日。杉の木と校舎の間から差し込む太陽はめちゃくちゃ暑いのに、なぜか今日はさわやかに感じた。

15/07/2024

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2024年7月15日(月)
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感動詞メインおっさんの食レポシリーズ。
今年第二弾はブラックベリーでございます。
野菜でも果樹でもやはりとれたてを食べるのが一番おいしいと思います。

かなんな農園の畑では農薬や肥料など、化学的なものを使わないので、土や葉っぱを触ったその手で収穫してパクッといくわけなのですが、その感じを知ってほしいなと思い、こんな自撮り動画を撮影するに至っております。

え、土を触った手でそのまま収穫してるの?えー、気持ち悪いと思った人には別に買ってほしいと思わないです。それを暗にアピールするためにもこの動画は欠かせません。

このブラックベリーを食べたときもそうですが、多少の虫くいがある果実もぼくは普通に食べます。

もちろん虫食いがあると認めたものは、たくさん噛んで寄生虫的なものが胃の向こう側にいくのだけは防いでいます。

ぼくはこれが自然なことだと思うから、水で洗ったりもしません。

むしろ、目に見えない土壌微生物を胃で消化して、その死骸を腸に送り込むことで、腸内細菌が多様化していくのではないかと考えています。(土と内臓、デイビットモンゴメリ著、参照)

花粉症にかかる気配がまったくないことを考えると、おそらくその考えであってるんでしょう。

そんな考えを理解していただける人だけに野菜が届けばいいなと思うので、こんな自撮りを始めました。

若干おちゃらけてはいるものの、心のなかでは実は嬉しくてたまりません。

ほんの数年前まではこんな動画を収録できるほどの収穫もできなかったからです。

▼無農薬
▼無肥料
▼耕やしもせず
▼水やりもしない
というやり方で行う農業っていうのはやはり難しいし、やろうと思えば一旦すべての農業知識を全否定しなければいけないという側面もあります。

それでいながら、近所の農家のあいさつもろくにできないおじさんに愛想をふりまいたり、自然のことをろくに理解しようともしない農協の人や自治体の人にもおべっかを使わなければいけません。

不毛にも感じる15年間を経て、やっと作物ができるようになってきました。

過去の思い出に安穏とするのは好きではありませんが、あの15年間を耐えた自分に一瞬だけ賛辞を送りたいです。調子に乗るから一瞬だけです。

それはそれは嬉しいのです。

でも嬉しいという気持ちに浸っているとスピードが遅くなるし、安心してしまうのが一番怖い。

だから涙がでるほど嬉しい感情をおチャラケに変えて食レポをお届けします。

甘いとか、

フルーティだとか、

そんなことを伝えたいわけではありません。

ぼくが伝えたいことは山ほどありますが、その中から一つだけ選べと言われればぼくはこう答えます。

おそらくこれが自然と人間が共存していくための唯一の方法です。17年くらいずっと自問自答してきたけど、おそらく間違えてないと思います。

11/07/2024

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2024年7月11日(木)
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今年の野菜セットにはオクラを入れることができそうです。

昨年はオクラと連作の関係があまりよくわかっておらず、自分の家で消費するくらいの量がとれるだけで、販売するには至りませんでした。

無農薬無肥料で栽培するにしても、連作のことは常に念頭に置いておかなければいけないことがわかりました。

また一歩前進です。

連作が農業にとってよくないことなんて百も承知なのですが、実際にそれを畑で実現するにはどういうふうに準備していかなければいけないかといったことがわかっていませんでした。

同じ農業でも無農薬無肥料というだれもやっていないようなことを進めていくには、進んではぶつかるを繰り返すのが一番成長が早いです。

そうやってぶつかりながら進んでいると、なんでこういうふうにやるのがいいんだろう?という疑問が浮かんできます。

最近、ぼくの頭の片隅にずっといつづけている言葉それは、
「土はどうやってバランスをとってるの?」
です。

これは連作についての話なのですが、

オクラなどの野菜ができて収穫します。

ぼくらが教わってきた科学では、大地からオクラがとれて、その分だけ栄養が失われる。その大地をほったらかしにしておいて、数年後またぼくらはオクラを栽培することができる。

なんで?

大地からオクラの栄養を引き算したあと、大地はどうやってそのオクラの栄養分を足し算してるの?

これにたいして現代の科学は明確な答えを持っていません。

でもぼくが畑で見て感じることは、
「小さな生き物が足し算してくれている」
です。

というよりも「足したり引いたりしてくれている」がより近い答えかもしれません。

小さな虫というのはアリとかミミズとか目に見えるものはもとより、センチュウとかカビとか目に見えない生き物も含みます。

アリやミミズはぼくの畑にたくさんいますが、彼らはどこからくるのでしょうか?これに答えられる科学者もいないと思います。

なぜ彼らはその場所に巣をつくるのか。

なぜ彼らはその場所を選んで、その場所を穴だらけにしていくのでしょうか。

翌年、彼らはなぜその場所を去るのでしょうか。

ただ一介の農夫が見て感じたことですが、それは植物たちとコミュニケーション(のようなもの)をとりあってその場所に決めて、巣の形を決めて、穴を掘り、卵を生み、冬にはたくさんの死骸(栄養満点)を置いていってくれる。

これが当たらずとも遠からずな土のバランスなのではないでしょうか。

そういうふうに考えると、土のなかでは栄養価がたかければいいんじゃなくて、
たとえば、
7・9・8・9・5
みたいな感じではなくて、
3・3・3・2・3
みたいにバランスが整っていることが良い土の条件なのではないかなと考えます。

以上、一介の農夫が考えていること。でした。

08/07/2024

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2024年7月8日(月)
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なんでトマトができただけで泣いちゃうのか、というところを今日は作文していこうと思います。

それを話そうとすると、だいぶ遠回りの話になってしまうので、どこから話すべきなのかいつも迷うのですが、一番始めからいってみたいと思います。よろしくお付き合いください。

ユニクロ、たこ焼き屋さん、トヨタ、保育園、幻冬舎、テスラ、インスタグラム、
現代社会ではたくさんの企業が活躍していますね。

その現代社会がかかえる問題の根っこの一番深いところを言語化してみると、「企業が稼げば稼ぐほど地球は汚くなる」ということになるとぼくは感じています。

高品質の衣服を安く提供するという企業活動。

外側はカリっ、内側はとろっとろのたこ焼きを提供するという企業活動。

人を満足させるという号令のもとに、企業活動に励んでいるけど、どんな企業活動でも地球環境に負荷をかけながら利益をだしています。

ぼくはそこを変えたいのです。

そこを変えるにはそういうビジネスをつくらなければいけないと若い頃考えていました。

稼げば稼ぐほど地球の水が空気が土がきれいになっていく、そんなビジネスをつくらなければと考えていました。

社会人になるまえは、社会というのはそういう問題があるのをわかっていて、どうにかその問題を解決するために全員が必死になって取り組んでいるところだと、淡く考えていました。

しかし社会人一年目の川崎青年が目にしたのは、そんな理想とは無縁の世界でした。

その頃からでしょうか、「稼げば稼ぐほど地球がきれいになるビジネス」という言葉がぼくの心のなかに幅を利かせ始めました。社会人といっても20代なんてほんとに何も知らない若造でしたので、ここまで言語化できていたとは到底思えません。

ただただなにかが間違ってると、思春期の延長のように悶々と考えは、上司に叱られていただけのようにも思います。

まさに見た目は大人、頭脳はお花畑、名探偵のような推理力なんてもちろんゼロな呆れた大人川崎青年でしたが、いろいろな本を読み勉強していくなかで、どうやら農業の形を変えたらいいんじゃね?という心もとない動機から週末に農業を始めてしまいます。あちゃー。

▼お花畑の頭脳からくりだされた農業というアイデア。

5年が経ち、10年が経ち、15年が経ち、その間このアイデアのままでいいのかとずっと自問しつづけるのですが、自答すればするほど、この道しかないんじゃないかという気になってくる。

そんな流れでぼくは
▼「稼げば稼ぐほど地球がきれいになる農業」▼
を探究しています。

探究しているとは言いつつも、この難解な答えが自分が生きている間にでるなんて考えもしませんでした。なにかその答えにつながるヒントのようなものが見つかり、次世代に伝えられたらいいか、くらいの気持ちでした。

そういうふうに考えることで精神的なバランスをとっていたのかもしれません。

地球環境問題になにもアプローチしていない自分に耐えられないので、とにかくめちゃくちゃ難しい問題にトライして、その難しさを理由にスピードの遅さをごまかしていましたのかもしれません。

▼農薬を使わず
▼肥料も使わない
▼耕しもせず
▼水やりもしない

この超絶難解な問題が一部とけようとしています。

だからたかだかミニトマトができたくらいでぼくは泣きそうになっているのです。

お花畑川崎は現在43歳、まだまだ勉強できるし働ける。でももう精神的なバランスなんて気にしない。あとはこれで稼ぎまくって地球をピカピカにしてやるわよ。

||||||||||||2024年7月6日(土)||||||||||||今日はあの駐車場の近くにあるお菓子屋さんのご紹介です。いつも花の苗一つ50円にお越しいただきありがとうございます。花の苗一つ50円の駐車場にお越しいただいても、お目当て...
06/07/2024

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2024年7月6日(土)
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今日はあの駐車場の近くにあるお菓子屋さんのご紹介です。

いつも花の苗一つ50円にお越しいただきありがとうございます。

花の苗一つ50円の駐車場にお越しいただいても、お目当ての花や植木鉢がなかったりすることがあると思います。

申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、入荷先をたくさん増やしても需要が追いつかないし、供給過多になるとそもそもあの駐車場だけではスペースがたりなくなる。

そんなこともあり、流れに身をまかせながら無理なく大きくしていこうと思っているので、「行ったけどなにもなかった」というお客さんを量産してしまっております。すみません。

そんな人たちへ、おすすめのソフトクリームのご紹介です。

そのお店の名は

▼菓匠FUKUROU▼
花の苗一つ50円の駐車場から南へ徒歩1分くらい。

地下鉄谷町線田辺駅のとなり。

▼大阪市東住吉区田辺2−1−2
▼営業時間10時〜売り切れまで。水曜日定休

ソフトクリームというのはどういうふうにして、世にでてくるのでしょうか、そんなことまで考えさせられてしまうソフトクリームです。

ソフトクリームについて、ひとつぼくがいいたいことそれは。

「全部いっしょやん」

日世と書いてニッセイと読むのでしょうか、おそらくソフトクリームの元締めみたいな会社があって、その会社がソフトクリームを手軽に美味しく安く供給できる機械を売りつける。そしてその機械でしか使えないソフトクリームの原液みたいなものを抱き合わせで売る。

機械の料金は初めは無料で、原液にその機械代金がのっかってくる、三年以内に原液購入をやめると・・・

あー、もういい、もういい、やだやだやだyやだ。

簡単に想像できるくらいあほな資本主義像。

もうええ。

資本主義がいきすぎると格差が広がる?

はっきりいってそんなんどうでもええ。

もっと大切なんは、

資本主義がいきすぎると、ソフトクリームが全部同じになる。だ。

そんな社会をだれが求めた?

ちょっと甘すぎるソフトクリームがあってもええやん。

ときにはアイスクリンみたいな水っぽさもええやん!!

このチョコレートつぶつぶ入ってるやん!!みたいなんもよくない?

田舎にいったら、この牛からできたソフトクリームです!!みたいなんどうでっか?

なんかあつなってきたな。

とにかく整理整頓されて前にならえしてるソフトクリームなんていらんねん。



家族でこのお菓子屋さん、菓匠FUKUROUに向かっているあいだ、ぼくの心は煮えたぎっていた。

長女も次女も機嫌良さそうにぼくの前を歩いている、ぼくは口を開けられないでいた。

口をあければソフトクリームへの想いが叫びになって、近所にご迷惑をかけるのは火を見るより明らかだったからだ。

阿鼻叫喚

がんばれおれ、もう田辺駅の改札だ、FUKUROUまではあと数秒でつく、大人なのだ、どんな状況にも我慢できる、だされるソフトクリームがいつもと同じだって、なんだって我慢してやるさ、はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー、っていう練習しとこ。

はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。
はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。
はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。

横断歩道を渡り、FUKUROUの自動扉が開く、

いらっしゃいませー。

水無月の試食いかがですかー。

いま思えば、この瞬間に勝負は決まっていたのだ。

いま思えば、ぼくはこの瞬間に無意識のなかで違いに気付いていたのかもしれない、無意識の目はソフトクリームディスペンサーの機械の光沢と、見たこともないハンドルを確認していたにちがいない。無意識のなかで感じていたはずだ、「前にならえしてへんやん」。

それなのにぼくはまだ、傷つきたくないばかりに瞑目していたも同然だった。

目がひらいたのは、
ソフトクリームを手渡されたときだ。

あのいつもの五角形のソフトやない。

心を解き放ってええんか。
同じじゃないと思ってええんか。
期待してもええんか。

そう、ぼくは期待してもよかったのです。

味のこととか、濃淡のこととか、いろいろ書きたいことはありますがどれを書いても野暮になってしまうので、すべて消しました。でも最後に一言だけ言わせてください。

FUKUROUは前にならえしとらへん。
一つ500円税込です。

03/07/2024

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2024年7月3日(水)
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今日は城東区にある、日々(ニチニチと読む)というお菓子屋さんを訪問してきました。

お客さんとしてではなく、業者として仕事を依頼されていきました。

お店は補修工事のため中を見ることはできなかったのですが、きっとこのオーナー夫妻のようにあたたかい内装になんだろうなと想像しました。

お店のまえに置いてある特大プランターの中の土を処分するために訪問したのですが、作業しているよりもそのお店のオーナー夫妻と話をしている時間のほうが長かったように思います。笑

お菓子を制作するのは奥さんの役目です。若い頃からお菓子を作るのが好きで、ただ作るだけではなく、教室に通って研究していたのだそうです。50歳をすぎて時間も緩やかになったころ、「いっちょやったるか」ということでここ新喜多東でオープンしたそうです。

誕生日ケーキの受注制作もしているとのこと。洋菓子店なのかなと思いながら話を聞いていくと、和菓子をつくるのも得意なようで、だから「洋菓子店」とか「パティセリー」とか銘打たずに菓子店としている、とのことでした。

梅雨のこの時期だと水無月なんかを注文したらつくってくれるかもしれませんね。

ニチニチと読むこの、日々という言葉にはご夫婦で特別に思い入れのある言葉なのだそうです。

ハレの日
ケの日
という言葉があるように、誕生日やお正月などのハレの日にはめでたいお菓子を、同じようなことの繰り返しに思えてくるケの日にも彩りを添えられるようなお菓子を、というぼくの解釈があってるのかあってないのかを確認するために、お店で店主に話しかけてみてください、きっとあの笑顔で答えてくれるはずです。

29/06/2024

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2024年6月29日(土)
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10日間も書くことをさぼってしまった、ある程度以上の文字数を書く習慣というのは本当に難しい。

先週はトラックのラジエーターから水が漏れたため、土の回収の仕事も延期にしたうえ、花の苗も入荷することができなかった。

おかげで、今週のアウトレット花の苗一つ50円は6トレーの大量入荷となりました。

ただ、今回はLINEで入荷日時を告知しませんでした。

というのも、今回はある女性に出会って、その人にはある恩返しがしたかったので、その女性にだけ入荷日時を知らせて、きれいなアジサイをもらっていただこうと考えたからなのです。

LINEオープンチャットでの告知を待っていた人たち、ごめんなさい。

ぼくは女性に今週の木曜日あたりに偶然出会いました。

時間があったからと駐車場に花を見に来ていたその女性。

ラジエーターから水が漏れたためトラックを動かせない川崎は、駐車場にしつこく置いていたナンテンをしぶしぶ処分しにいきます。

ナンテンの根っこと格闘して、プランターから根っこを引き剥がすのに成功した頃、その女性は駐車場にやってきました。

はじめは、そうとも知らず、あーこんにちはーと失礼なあいさつをする川崎。

おもむろにその女性が話し始めて30秒も経ったころ、川崎の態度は豹変し平身低頭、さっきのあいさつを帳消しにしろといわんばかりのありがとうを連発し、そこから20分くらい話したでしょうか。

その女性が、
▼割れた植木鉢を購入してくれた人だったこと。
▼SNSなんかよくわからないし、連絡の仕方もわからなかったこと。
▼いつかまた会ったときに話せばいいと思っていたこと。
▼ごく近所に住んでいること。
▼家のまわりに置いてある花はここの花ばかりであること。
要点だけをざっとまとめるとこんな感じの話を和気あいあいと楽しみました。

ぼくのほうは、
▼ぼくの時間を節約してくださったこと。
▼いつかそのお礼をしたかったこと。
▼金曜日の18時頃に駐車場に置きにくること。
などを伝えました。

ぼくよりも年長のその女性は笑顔が素晴らしかったです。
ここからは想像ですが、
多くを望まぬ、慎み深い性格なのだろうと思いました。

たくさんいただきました、というといえいえと謙遜する。

ありがとうございます、というとこちらこそと言う。

ぼくはこういう人が大好きです。

ぼくはときどき「がめつい奴もうくんな」的なことを言いますよね。

ぼくは「がめつい奴撲滅宣言」をしているわけではありません。もちろんがめつい人間はいてもいいと思っています。ましてやここは大阪です。

ぼくが我慢できないのは、がめつい人間が結果的にこの女性のような性格の人よりも大きな実利を得ていくのを黙って見ている自分に我慢がならないのです。

すなわち「ここではつつしんでくれ」です。

兄ちゃんもう一個まけてーやーと言われて、サービスすると、実際の金額で購入してくれたうえに、いつも本当にありがとう、楽しみにしてるねんでと言ってくれるその他大多数の人たちに、筋を通すことができなくなってしまう自分が嫌でいやで仕方がない43歳川崎康裕と申します。

18/06/2024

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2024年6月17日(月)
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ミニトマトの地方発送ご予約うけつけ中です。よろしくお願いします。
▼ミニトマト|クロネコ宅急便コンパクトに詰めて¥3,000―▼

今晩からの豪雨に働いていただくため、最後の夏野菜の植え付け@富田林1号地をしてきた。

このタイミング(まとまった雨量の24時間以内)に植え付けができると、完全に活着する。

今日の昼間に植え付けてきた
▼イタリアンミニトマトボルゲーゼ(固定種)22株
▼シュガーランプ(F1種)22株
の2種類も活着してくれることと思う。

その植え付けをする前に、5月中に植え付けをしておいた
▼アイコ
▼シュガーランプ
▼ししとう
▼ナス
たちがすくすくと大きくなってきているのも確認できた。

それがこの動画です。

ただ、野菜ができたのだね。と思うなかれ。

ぼくは、
農薬を使わず、
肥料も使わず、
耕しもせず、
水やりもしない、
農業をしているのですが、15年間ほどはほぼ無収穫で勉強や研究ばかりをしていた。

野菜を収穫できるようになったのはほんの二年前。

▼排水性を確保すること。(溝を掘る)
▼透水性を確保すること。(竹炭をいれる)
の2点さえしっかりしていれば、無農薬無肥料でも野菜はできることがわかってきた。

そして
昨年はいままでとは桁違いの量の野菜を収穫することができた。とはいえ、
自分の家族が食べる1年分の野菜くらいの量がとれたかなという程度だった。

ぼくを応援してくれている人たちに少しずつ販売すると、すぐに野菜は底をついた。

そういうことなので、今年の目標は
「余るほど大量に作る」
です。

しかも、新しく契約した農地で、一年目から収穫までできるのかどうかという、これからの農業を占うといっても過言ではない挑戦をしている。

その一年目の農地がこの動画に写っている農地なのです。

ここまでトマトの苗が大きく、しかも健康に生長していることが確認できたので、ほぼ「1年目農地の挑戦」は成功したと思う。

ぼくがどれだけ喜んでいるかは視聴者には伝わらないとおもうけど、この挑戦が成功するかどうかによって、ぼくが耕作放棄地を契約していくスピードが2倍から3倍早くなる。これくらいの効果があることなのです。

なにか言い残したことがあるなーと思い、初めから読み直してみました。

ぼくがやっている農業は、やればやるほど地球の水が空気が土がきれいになる農法なのです。

野菜をつくりまくり、たくさんのお金を稼ぎ、従業員を増やし、のれん分けをして、かなんな農園の野菜がブランドになったとする。

その頃には大阪湾の透明度は増し、淀川や大和川には鮭が遡上しているかもしれないし、その支流には蛍が棲んでいるかもしれない。

ぼくがやろうとしている農業はこういう農業だ。

11/06/2024

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2024年6月10日(月)
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先週末は仕事のために一人で伊勢にいっていた、詣ってはおらず。

帰る道すがら、ぼくは温泉に入って車の多い時間に休憩し、すこしの仮眠をとった。

そんなことをしながらのんびりと大阪のほうへ向かっていた。

夕方に車で走行するよりも、暗くなってから夜に走行するほうが眠気さえなければ効率がいいのだ。

温泉にまだ入っておらず、伊勢市街地を大阪に向かっていた頃、あるコンビニに入った。トイレにいきたかったのと、なにか飲み物を買っておきたかったからだ。

トイレを借りて、飲み物を購入して、さあでようかとドアに近づいたとき、一足さきにお店からでた親子連れのお母さんと少年がいた。少年といっても中学生くらいだろうか。背が低いと言う感じではなく、お母さんと同じくらいの背丈になろうかというような親子連れだ。

お母さんがさきに手動のドアを開けて外にでて、外にでると自分の息子がドアの外にでるまでドアをもっていた。

その息子さんから離れること2メートル程度か、ぼくはドアに向かっていた。

するとそのお母さんはぼくがドアのところにいくまでのおよそ1秒くらいのあいだ、ドアをもったまま待っていてくれた。

連続してでていくならまだしも、すこし間をおいてでていこうとするぼくのためにドアをもっていてくれたのはとても嬉しかった。

ありがとうと伝えたうえで、ぼくはそのドアを受け取り、ぼくのあとからでる人のためにドアをもった。

こんなふつうの出来事に感激するようになったのは、大阪に住んでるからじゃないだろうかと考えることがよくある。

大阪、とくに大阪市内では、ドアを持ってくれる人は皆無だ、いるんだろうけどほとんど見ない。

ぼくは意地でもやっているが、大阪市内ではドアをもってくれる人に出会ったことがない。これは本当の話なんです。

ドアを持っていたとしても、ありがとうの一言もないし、会釈すらされない。

いま日本人はまわりの人間への気遣いを忘れていると思うが、大阪はダントツトップ独走中だ。

ビジネス界隈で一時、大阪だけ景気から取り残されているという話を聞いたことがあったが、あたりまえだろうと思った。

全員矢印自分向きなんだから、そんながめつい奴らを相手にしてもビジネスではなんの旨味もない。

大阪は商人の町?ふざけんな。ただがめついだけです。

新渡戸稲造さんの本にこんなことが書かれていたのを読んだことがある。
「日本人は商売が下手、なぜなら契約というものをないがしろにするから。」

これにはおおいに賛同できる。

契約からはずれたことをしようとして、なあなあで済ませようすることがたくさんある。個人のレベルでも、法人のレベルでもそうだ。

商売が下手な日本人のなかでも、突出して商売下手な大阪人と一緒に仕事をしているとき、自分はこうなってはいけないと戒めるとき四面楚歌を感じることがある。

都会だからか?と考えてもみるが、東京へいったり、関東のほうをまわったりしているとき、(とくに横浜!!)人情味はあるし、会釈もするし、言葉はやわらかいなと感じる。

大阪からすこしはずれて、今回の伊勢、京都、神戸あたりにいってみてもやはり、大阪とは決定的にちがうと感じる。

これはなんなんだろうと疑問に思うと同時に、これを治すにはどうしてらいいのかと考えてしまう。

教育か、
政治か、
宗教か、
そのほかには?
どうやってこの大阪に人情を取り戻すことができるのだろう。

||||||||||||2024年6月9日(日)||||||||||||土回収の仕事のために三重県は伊勢市まで足を運んできました。家族で旅行とはいかなくても、一人でトラックで遠出となると、朝からテンションがあがる。奈良県から三重県伊勢市まで...
09/06/2024

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2024年6月9日(日)
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土回収の仕事のために三重県は伊勢市まで足を運んできました。

家族で旅行とはいかなくても、一人でトラックで遠出となると、朝からテンションがあがる。

奈良県から三重県伊勢市までを結ぶ国道166号線は、よく整備された道路で、トラックの荷台が空っぽの往路はとても快適に走行することができた。

おそらくは大型トラックの通行を地元民が嫌がるためか、それを避けるためかのように、道幅の狭い道路がごくたまに出現する以外はとても快適に走行できる。

ましてやバイクともなれば、紀伊山地の急勾配なんかも逆に楽しめるのでしょう、ツーリングを楽しむ男たちに幾度となく道を譲る川崎でした。

じつはぼくはツーリングを楽しむバイカーたちに道をゆずるのが大好きだ、なぜなら彼らは譲られた道を通過するとき、ほとんど全員が手をあげるなどの会釈をしてくれるからだ。

ぼくの乗る2tトラックはハイスペックでもなんでもない、平成時代のトラックなので紀伊山地の急勾配を登るときには、はっきり言って抜かされまくる。

そんな情けないトラックがせめてもと思い、路肩いっぱいに寄せてハザードランプを点滅させながらエンジンを唸らせているときでさえ、彼らは手をあげて「ありがとう」を伝えてくれる。

それだけで世界はうまくまわるような気がする。

ところで、国道1号線といえば江戸時代から続く東海道が前身だ。

国道25号線といえば大阪難波から名古屋を結ぶ古い街道が前身なのだろう、もとはなに街道だったのだろう、調べたことがない。(いま調べました、奈良街道とか大和街道と呼ばれていたそうな。)

国道にはランク付けがされているって知ってましたか?

ぼくはさっき知りました。

▼直轄国道(1桁と2桁の国道)
▼補助国道(通称3ケタ国道)

▼直轄国道 国土交通省がたくさんのお金をだして新設や管理、修繕を行う国道
▼補助国道 国土交通省がほぼお金をだしてくれない国道

こういうことを考えるとぼくがこの週末に通ってきた国道166号線は三重県と奈良県がお金をだしあって完成させた道なのだろうと思う。

このときの出来事がノンフィクションで記載されている本などないものかと気になったニワカ国道ファンのおっさんより。

31/05/2024

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2024年5月31日(金)
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禍福あざなえる縄のごとし。

とか言っちゃうとかっこよくなりますが、いやな人に出会えば、素晴らしい人に出会うという波は、人を人生の虜にするのに一役買っていると思われる。

40歳をすぎて、嫌な出来事があると(それは死ぬほど辛い出来事じゃないから言えるのだが)、かえって次に必ずやってくる福が楽しみになる。

嫌なことがあるとそんなわけでニヤニヤしている大人も少ないかもしれない。

一生かかってもおよそ到達できないであろうゴールをずいぶん前に設定し、それに向かって邁進してきた。

その中では必ずといっていいほど、禍のあとには福がきた。

波が小さくなって、もうだめかもと感じるときでも必ず大きな波がきてくれた。

▼熱のあるものはすべて電磁波というものをだすのだそうだ。

光はすべて電磁波なのだそうな。

そういうわけで、ぼくたちのからだも電磁波を発しているのだそうな。

太陽が光という電磁波を発しているように、光っているように見えないこの地球も電磁波を発している。それがよく聞く放射冷却という現象のもとになっている。

ぼくらの住む世界は波に満ち溢れている。

だから海で波をながめていると、心うばわれてずっと見てしまうのかもしれない。

先日出会った、尊敬に値する66歳のおじさんでさえ、良いときと悪いときの波があり、そんななかでも人は仏教やキリスト教、イスラム教などの宗教にすがりついてでも気分よく生きていこうとする。

気分よくなれば気分がわるくなるときがあるのを人はよく知っているはずだ。

いい人になろうという波は、もしかするとわるい人になろうとする波につながっているのかもしれない。

幸せになろうとする波が、もしかするとウクライナやイスラエルの戦争につながっているのかもしれない。

でも、そんなことは全部すっ飛ばして、

ぼくは地球の水や空気が汚れていくのに我慢がならない、そのために明日も畑にいって、無農薬無肥料の野菜を栽培してこようと思う。

ぼくは波をたてているが、その波が地球環境改善の波につながっていないのなら、一瞬でやめようと思う。そのために一人でここまでやってきた。一人でやめたとしても誰にも迷惑はかからない。そういう目で自分がやっていることを注視してきて10年以上が経ったが、いまのところこの波は目標にむかって進んでいるように思う。

||||||||||||2024年5月29日(水)||||||||||||たまーにあほなお客さんに出会うことがある。2年に一回か3年に一回くらいのペースなので、なんとも思わない。そんなときには必ず、お代金をもらわずに帰ってくる。お代金をもら...
29/05/2024

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2024年5月29日(水)
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たまーにあほなお客さんに出会うことがある。
2年に一回か3年に一回くらいのペースなので、なんとも思わない。

そんなときには必ず、お代金をもらわずに帰ってくる。

お代金をもらわずといっても、そんなお客さんがあほになっちゃうのは少額のときだからなんのことはない。

なかなかビジネスに百戦錬磨の川崎は、土回収の仕事をするとき、▼まずは見積もりする
▼金額を伝える
▼この金額でいいかどうかめっちゃ確認する

この確認作業の間に、挙動がおかしい人には即座に「それじゃこの金額でご検討くださいね〜」と言って立ち去る。

なぜなら、けっして高くないぼくの見積もり金額で納得できないのは、自分の財布事情しか考えてないことの裏返しであることがほとんどだからだ。

そんなところで仕事をしたとしても、満足なんかしてもらえるはずはない。

満足してもらえる方法は、自腹を切るくらいしかない。

そんなのはビジネスじゃない。

今日はそんなことを考えられる現場でした。

なにかの会社か公務員の寮に呼ばれたぼくは、トラックをその寮の前につけた、幅の広い道路で、近隣の迷惑にもならなさそうだ。

ベビーカーに赤ちゃんをのせたお母さんが一階におりてきた。

ここにありますと通された共同駐車場の一角で、プランターを見せてもらい、園芸用土の回収の見積もりを済ませた。全部で4,500円です。

OKですか?(ここでもうひと押し確認しておくべきだった)

OKです、とのことなのでそのまま作業をしていた。

作業自体は20分程度で終わっただろうか、業務を終わらせて、片付けをして、ゴミをまとめて、精算をしにいきました。

すると、日陰でベビーカーとともに待っていたお母さんは暗い表情、主人とメールしていて4,500円は高すぎるといわれた、2年前に見積もりしてもらったときは2,200円だったから2,200円にしてほしい、と主人が言ってる、とのこと。

この時点で、あ、あほやなと判断。

見積、受注、発注の関係から攻めようかとよぎったが、やめ。

代金をもらわないことを判断した。

これからおまえがいろいろと痛い目に遭って学んでいかなければいけないのに、なぜぼくがその手助けをしなければいけない、もっともっと大きな状況で痛い目に遭ってください。

ていうか、もうすでにご主人ともども痛い目に遭ってるからこの寮に住んでるんでしょ。

とか、このほかに百行くらい書ける文句をすっ飛ばして、まず初めに言わなければいけないのは、

「おまえOK言うたやん。。。」

その舌の根も乾かんうちに、ようその表情でそれ言えたな。

あほすぎる。

無料でお願いしますと言ったとき、え、いいんですか、とかなんとか言ってたけどもうそこからは顔すら見ずに伝えたのでラッキーと思ってるのかどうかもわからないが、ベビーカーの音を聞くとその赤ちゃんが不憫でならなかった。

お金の流れなど一切教わらず、その子も将来、見積、受注、発注の流れすら知らずに大人になるのじゃないだろうか。

同じ大阪市内での移動とはいえ、2tトラックに乗った大人の男がやってきて、2,200円。。。

回収する土の量は置いておいて、おまえなら2、200円でこれをやりたいと思うのか?

そう、たぶんそういう人は自分の財布事情以外の事情は全部無視なんだと思う。

だから、もう二度と電話してこられないように、かなり辛辣な言い方で、無料を伝えるのです。

知ってるか、この事業を合法的にやってるのたぶん日本でおれ一人だけやで。どんだけ困っても二度と電話してこんといてや。

わかるか、ぼくは地球環境を改善するために、戦争がない世界を実現するために農業に取り組んでいる。農業でやっていけないのは周知の事実だから、ぼくは畑を使って稼ぐ方法を探し、この土回収の事業をすすめてきた。

矢印全部自分向きのおまえには一生かかっても理解できないやろけどな。

敬称略、笑

||||||||||||2024年5月26日(日)||||||||||||昨日の花の苗一つ50円アウトレットセールの入荷は楽しかった。ラインオープンチャットでぼくが、「ガメつい奴もおええ編」を配信したからか、買いにこられるみなさんは和やかで...
26/05/2024

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2024年5月26日(日)
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昨日の花の苗一つ50円アウトレットセールの入荷は楽しかった。

ラインオープンチャットでぼくが、「ガメつい奴もおええ編」を配信したからか、買いにこられるみなさんは和やかで、笑顔であいさつを交わしていた。

ぼくが「あいさつせえへんやつもおええ」とか「会釈すらできへんやつ買わんでええ」とかわめいたからだとは思うが、そうやって無理矢理実現させた挨拶を交わす世界、一見すると理想の世界のように見えた。

そうやって無理矢理実現させた世界っていうのはどんな状況でもあまり長続きしないのは世の理だろうと思う。

でもいまの日本にはこの世界が必要だと感じてしまう。

とくに関西では礼が死んでいる。

それを改善するにはどうしたらいいのかと考えながら、この花の苗一つ50円無人アウトレットセールを盛り上げていこうと思う。

昨日、花の苗を駐車場に置きにいった際、女性のお客さんが7人くらいすでにお待ちでした。

その人たちと和やかに談笑していたときに、一人だけ男性がいらした。

「川崎さんと話してみたかったんですよ」と言ってくれたその男性は家電製品のデザイナーをなさっている、(おそらく)30代のなかなか男前でした。

女性のなかに自然と入っていけるような柔らかな雰囲気を持つその男性はとても魅力的で、そのまま立ち話で20分くらい話したでしょうか。

またあの駐車場で会って話したいと思う人でした。

ぼくのやっていることに興味を持ってくれる人はこの男性のほかにたくさんいるが、スタンドFMでひとりしゃべりをしたり、こうやって作文することによって、興味を持ってくれる人に対して伝え方が明確になっていっているように思える。

いままでは「こんなこと話したところで伝わるわけない」と考えていたので、せっかく興味を持ってくれる人がいてもあまりうまく伝えることができなくて、みなさんぽかーんとした顔をしていたように思う。

でもそれは言葉が理解できないのではなくて、ぼくが伝えようという気がなかったからなんじゃないかと思い始めている。

こういうときに最近よく使う言葉はこうだ。

▼いまの世の中の問題は、稼げば稼ぐほど地球が汚くなっていくのが問題だ。
▼ぼくがやっている農業のやり方なら、稼げば稼ぐほど地球はきれいになる。
▼あとはぼくが稼げば稼ぐほど才能が集まってきて、自然と地球がきれいになる。
▼ぼくがやろうとしているのはこんな感じです。

伝わったのか伝わらなかったのかは永遠にわからないが、少なくとも話は続いた。

その男性との会話はぼくが切り上げなければいけない時間まで盛り上がっていたと思う。

これまでの16年間は野菜すらほとんど収穫できず、収穫もできていないのに夢を語るのもどうかと考えていた。

それはそれでよかったのかもしれない、ただもくもくと研究する時間だったのだから。

でもこれからはもっと話さなければいけないと思う。

もっともっと話してたくさんの人と一緒にいかなければ到達できないゴールだと思う。

25/05/2024

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2024年5月25日(土)
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静岡県沼沼津市にお住まいの女性からある日電話をいただきました。

いろいろと探しまわって『もうほかにはない』という感じの声はなぜだか聞き分けることができます。声が明るいとか暗いとかではなく、説明するのは難しいのですが、聞き分けることができます。

いろいろ調べたこと、
お住まいの自治体では引き取ってもらえないこと、
一か八かで電話してみたこと、

説明してくれる言葉にはどこにも曇りはなく、『ザ、正々堂々』のような感じを受けました。

ぼくは滅法そういう声に弱くて、それほど量も多くないし、静岡県から大阪まで運賃もばかにならない。

ましてや、本人は真っ当に処分できる方法を求めている。

そういったことからぼくは無料で回収することを決めました。

無料で回収する際に気をつけていることは
・土が完全に根っこや鉢底石と分別されていること。(めちゃくちゃ質問する)
・土の量が少ないこと。
・運賃がかさむこと。
・いい奴

以上の要件を電話している間に確認しまくり、最後に
・Googleマップのクチコミを書いてくれること
を了承していただいてから無料で園芸用の土を回収できることを伝えます。

土が自宅に届いて、段ボールをあけると沼津市指定袋が入っていました。

観葉植物に使われていたというその土は、大切に使われていたんだなと感じさせる佇まいで段ボールの中におさまっていました。

園芸用土の処分にお困りの人はDMください。

とにかく早くっていう人はお電話ください。

かなんな農園 川崎康裕
090-3941-7360

20/05/2024

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2024年5月20日(月)
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この週末も畑作業にあけくれてきた。

といっても、朝から晩まで作業していたわけではなく、午前中だけ畑にいていろいろやっていた、という感じです。

この15年間、手をかけずに自然のなかで作物を栽培する方法を研究し、失敗しまくってきたけど、野菜ができはじめて、さて作物を増やしていこうかとなってきたこの段で、多くの失敗が活きている。

どういうふうに苗を植え付ければ、雑草ボーボーのなかでも野菜を土に活着させることができるのか。

この週末に活きた経験とテクニックだ。

要約してみるとこんな感じだ。

▼刈っておいた雑草を土の上に被せて、土が乾かないようにする。(土に直接日光があたらないようにする。)
▼苗を水のなかに浸けて最後の水やりをする。(できれば水道水ではなく、桶などにためておいた雨水を使う。)
▼たおれている雑草を鎌や手でグリグリしながら、苗を植えるための隙間をあける。
▼その隙間から見えた土の部分にある、まだ生きている雑草の根っこを鎌で傷つけていく。(鎌を土のなかにもぐらせながら。)
▼このとき、ムカデの出現に気をつけましょう。
▼鎌でほぐした土にスコップをさしこみ、苗が植えられるような壁を土のなかにつくる(穴ではなく壁っていう感じ)
▼スコップの形に湾曲した壁に、育苗ポットからとりだした苗を押し付ける。(苗の根っこと壁が密着するように)
▼壁と反対側の苗の根っこにも土をかぶせてやる。(このときもすこし押し付ける感じで根っこと土を密着させる。)
▼さきほど隙間をあけるためによけた(枯れた)雑草を苗の根元に寄せる。
▼苗の根元に寄せた雑草が、苗の葉っぱの下になるように寄せる。
▼苗の根元に寄せた雑草のおかげで、雨が直接土にあたらないように寄せる。
▼苗の根元に寄せた雑草のおかげで、雨が土にあたったときの、土の跳ねっ返りが苗の葉っぱにつかないように枯れた雑草を寄せる。
▼このとき寄せた枯れ草の隙間から、土が見えている状態だとよくない。

さきほど作文を始めたあと、自分のなかにあるコツのようなものを文章にしてみようと考えて書いてみたのですが、まさかこんなにもあるとは、、、だてに15年間ミスしまくってないな。笑

たとえば数年後、入社してくる従業員がいたとして、こんなたくさんのことを1日で教えても絶対に伝わらないなと感じることができたのは、ものすごい大きな収穫でした。

ありがとう、作文。

しかも、いままで何人かの興味のある人たちが畑にきて、作業を教えたりしたのだけど、その人たちがぼくの説明を飲み込めなかったのもそのせいかと、やっと気づくことができました。

そして、
最後に一番むずかしいコツで、一番大切なコツをひとつ。

▼上記の苗植え付け作業を、雨が50mm以上降る直前(24時間以内)に行う。

この一番難しいコツは、自分が住む地域の空模様と、気象庁の天気図を少なくとも5年以上観察しなければいけないと思う。

昨日5月19日(日)の朝7時頃から植え付けたミニトマト50株は、同日朝11時頃から半日以上降り続いた雨のおかげで、すべての苗が活着したと思う。やるやんけ川崎。この調子で6月上旬くらいまで植え付けをしまくろうと思う。

||||||||||||2024年5月13日(月)||||||||||||夏野菜を植えたいと考えている農家はこの5月の天候が狂おしい。この5月には必ずといっていいほど、寒の戻りがある。5月に入ってまで「寒の戻り」という言葉が使えるのかどうか...
13/05/2024

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2024年5月13日(月)
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夏野菜を植えたいと考えている農家はこの5月の天候が狂おしい。

この5月には必ずといっていいほど、寒の戻りがある。

5月に入ってまで「寒の戻り」という言葉が使えるのかどうかはわからないが、今週の雨のように冷たい雨が必ず降る。

低気圧からのびる寒冷前線が日本列島をなめるように横断していく。

おそらくは季節風の影響でこんな前線の形になるのだろう、ここはもっともっと勉強しなければいけない。

この寒い前線が去ったあと、すこしのあいだ五月晴れが続いて、そのあとすこしジメっとした雨が降る。

このジメっとした雨の直前に、夏野菜の苗を植えて、びしょびしょに濡れた土の中に根っこが活着する、というのが最善の筋書きなのだが、これがなかなか難しい。

じめっとした雨のあとには、初夏を感じる湿り気とその匂いが空気を覆う。いくつになってもワクワクさせられるあの夏の匂いを伴った空気は、それが来る前に予告してくれないからだ。

天気の勉強を欠かさず、天気図と空の観察を欠かさないぼくでも、読めない。

でも、今年の5月は初めて読み切れたかもしれない。

今日5月13日の大阪は15時頃に雨があがった。

その空気のなかにわずかながら、あの夏の匂いを感じることができた。

気象が荒れている昨今、このまままた寒い日が帰ってくるのかもしれないが、今年はあの夏の匂いに賭けてみようと思う。

次の低気圧が大阪を通過する前日に夏野菜の苗を植えまくる!!

||||||||||||2024年5月11日(土)||||||||||||今日は朝からぐたーっとしました。ジョギングもせず、朝ごはんは味噌汁だけ。お昼ご飯を食べたら、めっちゃ昼寝をし、ちょっと目覚めたら本を読み、また目をつむったりしました。...
11/05/2024

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2024年5月11日(土)
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今日は朝からぐたーっとしました。

ジョギングもせず、朝ごはんは味噌汁だけ。

お昼ご飯を食べたら、めっちゃ昼寝をし、ちょっと目覚めたら本を読み、また目をつむったりしました。

そして15時頃になってようやく家族四人で市民プールに泳ぎにいきました。長女はすでにぼくよりも泳ぎが達者なので、二人で5往復してクタクタに疲れてきました。長女はけろっとしているが。

プールに併設されたジャグジーに入って、シャワーを浴びて、アイスクリームを食べて外に出ると、五月晴れの青空、もうすこし湿気が増えてくると、初夏の感じになるんだろうなーと考えながら、自転車で帰って来ました。

明日はこの春何回目かのヤギ放牧。
毎回生えている草がかわるので、どんな種類の草をヤギが好むのかを観察するのが楽しくて仕方がない。

観察を楽しくしてくれる要因のひとつに『音』がある。

それはヤギが草を食むときの音なのですが、ボリなのかゴリなのかよくわからない低い音がヤギの口から聞こえてきます。

あの音の癒し効果ったら半端なくて。

もしかすると口から聞こえる音なのではなく、ヤギの第一胃が反芻するときの音なのかもしれません。明日もいろいろなことを観察してこようと思います。

ヤギでは役不足のため、やはり牛か馬を放牧できないかと考えている川﨑でした。

||||||||||||2024年5月9日(木)||||||||||||土を覆い隠さなければ!!というあほみたいな基本に立ち返り、今日は時間がないなか、朝10時30分からお昼すぎまで畑作業をしてきました。草刈機をトラックに積んで、ガソリンの...
09/05/2024

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2024年5月9日(木)
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土を覆い隠さなければ!!というあほみたいな基本に立ち返り、今日は時間がないなか、朝10時30分からお昼すぎまで畑作業をしてきました。

草刈機をトラックに積んで、ガソリンの携行缶をのせて、さて畑にむけて出発!!と、その前にぼくは今日、道具屋さんに向かいました。

いつも利用している堺市の丸武道具堂、ここにくると道具を見るのが好きな人なら一時間は軽くいられんじゃないでしょうか。

それほど道具に興味のひかれないぼくでさえ、お目当ての道具にたどり着くまでに、あれ、これってどういう風に使うんだろうとか言って立ち止まったりしてしまう。

あれこのアシックスの作業靴、爪先に鉄はいってんねや、耐電とかもあるのかな、とか立ち止まってしまう。

そしてなんとか目当ての道具のところまでたどりついた。

今日のお目当ては、
レーキ
RAKE
馬鍬とか熊手とか呼ばれるあれだ。

じつは1年前くらいから、欲しいなとは思っていた。
必要かもと思い始めたのは2年くらい前だったかもしれない。

草刈りをしたあとの草を畝に効率的に乗せていくためにはあったら便利なのはわかっていた。

でも究極の貧乏性のせいなのか、ギリギリまで買わずにいることが多い。

ギリギリまで買わずにいると、道具の神様(大黒さんと呼ぼうか)が見かねて偶然を装ってそれをぼくにまわしてくれる。

話はそれるが、ぼくのかばんには楽天の端末がある、ケータイよりすこし小さいかなというくらいの大きさの端末で、これでお客さんのクレジットカードからお金をいただいたりする。

いままではこの端末を、すこしぶかぶかのジップロックに入れていた、そうするとやっぱりブカブカなため、きれいに折り曲げたとしても袋の端っこがかばんのジッパーに噛まれたりする。

ぴったりのジップロックほしいなーという呪文を唱え続けて半年ほどもたったある日(つい先週)、大黒さんがぼくのお客さんと打ち合わせをしてくれたらしく、お客さんのお支払いのときにそのジップロックはお金をいれてぼくの前に現れた。

おーきにお客さん
おーきに大黒さん

そうこうしてぼくはこのレーキを買おうと決めるまで1年以上がかかりました。

大黒さんにも電話してみましたが、いやそんなんいうたかてレーキなんか持ってるやつおれへんやないか、とか言ってました。

大黒さんも円安で大変なんやなと勝手に納得して、電話を切ったときにぼくは決心しました。

よし買おう。

あの道具屋さんへ行こうと。

そして今日行ってまいりまして、無事に購入することができました。ものすごい大切に使っていこうと思います。

畑に到着して、あらかた草刈りを済ませた。レーキの出番だ。

刈った草をまとめるために買ったレーキでしたが、それはもう役にたつことたつこと。

草ってレーキを使うとこんなにもローリングするんだ!と感動し、のせるわのせるわ、土が露出していた畝にのせまくってきてやりました。

明日の昼間にもすこしやれば完璧に土を覆い隠すことができると思います。

明日の朝の朝露で濡れた地面は、太陽があがっても草で遮られて太陽光線があたらず、水分は蒸発しません、それどころかずっと湿っているので、地面の中からあがってくる水分により、もっと湿り気を帯びることになります。

こうやって四六時中濡れていて、しかも水捌けがいい土に土壌微生物はたくさん棲息します。

こんな基本を忘れてたー、1ヶ月間もったいなかった。

||||||||||||2024年5月7日(火)||||||||||||畑で感じたり、本で読んだりして、無農薬農業にとって土壌微生物がなくてはならないものだということは知っている。知っているし、実践もできている。と思ってました、ミスするまで...
07/05/2024

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2024年5月7日(火)
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畑で感じたり、本で読んだりして、

無農薬農業にとって土壌微生物がなくてはならないものだということは知っている。

知っているし、実践もできている。

と思ってました、ミスするまでは。

ぼくがやっている無農薬農業でミスがわかるときは、ゆっくりとあらわれる。

ゆっくりすぎてそれがミスなのだと気づくまでに、普通の社会人では比べ物にならないくらい時間がかかる。笑

むかしテレビでやっていた、絵が映し出されて、その絵は時間をかけてゆっくりとなにかが変化する、たとえば色とか形とか数とか。なんかそんなクイズをだす番組ありましたよね?

まさにあれと同じで、ぼくの畑でのミスはゆっくりと時間をかけて目に見えてくる。

今回のミスの現場は通称、富田林1号地だ。

新しく契約した農地で、新しいからこそ一年目から竹炭を利用して作物を栽培できるかどうかを試していた。

ショベルで畑を掘り返し(ほんとうはこんなことしたくないけど)、掘り返したときにできる穴にたくさんの竹炭を埋め込み、その上に土をのせる。そのまた上から竹炭をたくさん投入した。

これでおそらく無農薬無肥料で作物ができることはいままでの実験が証明してくれている。

と思った2ヶ月前にはすでにミスを犯していたのだ。

竹炭の上にのせた土は露出していて、2ヶ月をかけて灰色になっていた。

そこでぼくは枯れた草を大量にその上に載せるべきだったのだ。

それはなぜか、枯れた草が土を覆うことで土が湿気を帯びる。

土が湿気を帯びると土壌微生物がそこでも棲息することになる。

土壌微生物が棲息するようになると、そこの土はフカフカになっていくし、種をまけば発芽するようになる。

種をまいても土壌微生物は発芽すらしないのだ。

そんな基本的なことをぼくは、種をまくまで忘れていた。

ばかばかばかbkbkbk

||||||||||||2024年5月1日(水)||||||||||||今日の天気図は本当に理解できない。これだけ前線から距離があるのに、雨が降るというのが理解できない。ひとつ考えられるのが、中国上空にある高気圧の勢力が強くて北朝鮮から北海...
01/05/2024

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2024年5月1日(水)
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今日の天気図は本当に理解できない。

これだけ前線から距離があるのに、雨が降るというのが理解できない。

ひとつ考えられるのが、中国上空にある高気圧の勢力が強くて北朝鮮から北海道にかけて気圧の谷を形成しているから、前線と気圧の谷のダブルでこんな雨天になっているのかもしれない。

でもこれに対して明確な答えを得られるわけではない、普通の人はこんなところに疑問を感じてさえもいないからだ。

春の天気は読みにくいとはいえ、こんなミスをしていたら、本当に種植えをしたかったときや、苗を植えたかったときには、ものすごい大きな時間ロスになる。

今回のことで言えば、ぼくの予想では今日からゴールデンウィークをまたいで、雨は降らないとしていた。だからまだ良かったものの、雨の合間を縫った作業を予定していたとしたら時間ロス甚だしい。

毎日、天気図と空を観察しているが、ときどきこういう間違いがある。

そのうえ、天気図がなければぼくは天気の予想ができない。

天気予報というのはなかなか嘘の多い情報だが、(休みのときに0%と言っていて、少しでも雨が降ったら誰しもおこるよね。)天気図というのはほとんど嘘をつかない、嘘はつかないが間違えるときはある。

ぼくとしてはその間違いすらも予測したい。

天気だけではない。

風、日光、気温も手に取るように予測したくてたまらない。

やはり気象予報士の資格勉強をするのがいちばん手っ取り早いと思う。

つぎに図書館で予約する本はそれにしよう。

||||||||||||2024年4月15日(月)||||||||||||今日はコマーシャル回です。瞑想のことを書いたりしてみようと思ったのですが、ちょっと眠くて眠くて。無農薬のスナップえんどうを宅急便コンパクトにつめつめで発送しております...
15/04/2024

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2024年4月15日(月)
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今日はコマーシャル回です。
瞑想のことを書いたりしてみようと思ったのですが、ちょっと眠くて眠くて。

無農薬のスナップえんどうを宅急便コンパクトにつめつめで発送しております。

何gになるか測ってないのでちょっと無責任ですが、一箱2,500円税運賃込みで地方発送いたします。

大阪市内の直売所に来られるかたには、その日とれた量に応じた価格で直売します。

無農薬とは言うものの、市場にでまわっている無農薬野菜のように「栽培期間中、無農薬」というわけではなく、ぼくが畑を契約したその日から農薬は使いません。

農薬を使わないということは肥料を使わないということにもつながります。肥料をほどこして余分な栄養を身につけた野菜に虫はつくからです。

余分な肥料分のないぼくの畑で元気に育った野菜には虫はつきません。

ブロッコリーなどのアブラナ科の野菜には虫がつきやすい印象がありますが、かなんな農園でとれるブロッコリーは畑で生のまま食べられます。

かなんな農園の畑では耕しません。いわゆる不耕起栽培です。

かなんな農園の畑では水やりもしません。農水路から水をいれたりもしないのです。

あきらかに健康的な野菜をぜひご購入ください。

||||||||||||2024年4月13日(土)||||||||||||今週はなかなかバタバタしており、今日で作文しなかった日は4日間か。さぼるなよかわさき。ぼくは花の苗を50円で無人販売しています。そもそもこんなことを始めたのは、花屋さ...
13/04/2024

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2024年4月13日(土)
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今週はなかなかバタバタしており、今日で作文しなかった日は4日間か。さぼるなよかわさき。

ぼくは花の苗を50円で無人販売しています。

そもそもこんなことを始めたのは、花屋さんが花の苗を廃棄していることを知ったのがきっかけなのですが。

そのときから、廃棄直前の花の苗をいただいてきては、大阪市内に契約している駐車場の片隅で無人販売をさせていただいています。

ただ花の苗を置いて、その横に貯金箱を置いて、さあここに50円入れてくださいというわけです。

たくさんの花の苗を入荷した日には、その貯金箱は10円や50円や100円でいっぱいになる。手で持つと少しずっしりとした重さを感じるくらい。

お客さんはみんな、その貯金箱を持ち逃げされたりしないのかとか、中身を抜かれないのかと心配してくださいます。

盗まれたことがあるかどうかは別にして、ぼくはそのお金が多少盗まれたとてかまわないと考えている。

いまのこの世の中、ぼくみたいな五体満足で生きている人間でさえ、社会のせいにしたくなることもたくさんあるし、ましてや障害をもった人や生まれつき性格に難のある人には本当に生きにくい世の中だろうと思う。

戦国時代のような理不尽さで命を奪われないだけましといえばましかもしれないが、その分の苦味を一生涯にわたって薄くのばして口に入れていくようなところがあるんじゃないだろうかと思う。

風邪が流行して、世の中は一段と変態さを増しました。

そんなおり、お金のない人がいたとして、今日食べるものにも困っていたとしよう。その人があの貯金箱を見つけてお金をとったとしよう。

ぼくはなにも言わない。とがめたりもしないだろう。

そんな生きにくい社会を横目に見ながら、自分のやりたいことに邁進しているからだ。言葉をかえると、そんな社会を本気で変えるべく何かに取り組んだりしているわけではないからだ。

そんな自分がなにをとがめられようかといつも思う。

ぼくが志す農業は、野菜をつくればつくるほど地球がきれいになっていく農業だ。

この農業を続けていくことができれば、まわりまわってこの社会の悪い部分を打破できると信じてはいるが、いま現在、政治家となってしがらみと戦っているわけではない。

少しのお金を盗もうとした人間にたいして、ぼくには文句を言う筋合いすらないというのがぼくの理屈だ。

今日、こんなことを作文したのは、実際にあの貯金箱にお金をいれてくださる方へ説明できるようになっておいたほうがいいかなと思ったのがきっかけです。

それではまた花の苗一つ50円無人アウトレットセールにおこしください。お買い上げのさいは貯金箱に自分で計算してお金をいれて帰ってください。盗んでいる人を見かけてもそのままにしておいてください。

2024年のスナップエンドウの収穫が始まりました。地方発送うけたまわります。🐝無農薬🐄無肥料🚜耕しもせず💧水やりもしないかなんな農園ではこんなやり方で農業をしています。いままでスナップエンドウを収穫できた年はなかったのですが、とれるようにな...
13/04/2024

2024年のスナップエンドウの収穫が始まりました。

地方発送うけたまわります。

🐝無農薬
🐄無肥料
🚜耕しもせず
💧水やりもしない
かなんな農園ではこんなやり方で農業をしています。

いままでスナップエンドウを収穫できた年はなかったのですが、とれるようになりました。泣🥲

15年間ほぼ何もとれなかったのですが、2022年あたりからトマト🍅やナス🍆、などの夏野菜がとれはじめました。

そんなおり、スナップエンドウもとれ始めました。

死ぬほど嬉しいです。

ご注文はDMで受け付けております。

ぼくと話したい人は📞お電話ください。

かなんな農園 川崎康裕
090-3941-7360

#かなんな農園  #無農薬  #無肥料  #不耕起栽培  #水やりなし  #スナップエンドウ

||||||||||||2024年4月9日(火)||||||||||||ぼくが書く文章を読んでくれている人や、一人朝礼(スタンドFM)を聞いてくれている人はよくご存知かもしれませんが、ぼくは昨年末あたりから若干のピンチでした。ウェブサイトか...
09/04/2024

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2024年4月9日(火)
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ぼくが書く文章を読んでくれている人や、一人朝礼(スタンドFM
)を聞いてくれている人はよくご存知かもしれませんが、ぼくは昨年末あたりから若干のピンチでした。

ウェブサイトからの注文が極端に減ってしまったのです。

httpをhttpsにしていなかったという、ウェブ担当者ならクビレベルの失敗をおかし、この5年間くらいを過ごしてきた結果、11月頃から検索順位が明らかにさがって、それにつれて注文の数も激減していました。

結果としては、最近になって注文の数が回復してきて以前よりもよくなったくらいの感じなのでよかった。

でも今日の話はそんなことではありません。

そのピンチだったときに、クリアになった視界の話をしたいのです。

注文が減ろうが今年は竹炭を焼きまくるという目標だったので、注文がないなかでもぼくは竹林にいって竹炭を焼きまくっていた。

そうこうしている間にもお金はがんがんなくなっていきます。

そして春になったころには、朝、竹炭を焼き、午後からマクドナルドのデリバリーのバイトをするという日が続きました。

バイトをしていると言ってもそれほど稼げないので、お金はどんどんなくなっていきます。

3月が終わる頃には、このままいくと春の苗づくりのための種を大量に買うお金もなくなってしまいそうでした。

4月に入り、ぼくは本当にピンチを感じていました。

いままでせっかくがんばってきて、やっと無農薬野菜のつくり方がわかってきたのに、苗をつくることができず、今年の販売にトライできないのではないかという危機感が募ってきました。

募ってきました。

募ってきました、とはよく言ったもんで、いままでは他のいろいろな不安に埋もれていたその危機感が、ぽっかりと海の真ん中に突き出てきたのです。

他の言い方に変えると、いま自分がなぜ不安なのかがわかっていなかった、です。

お金がなくなることが不安ではなかったのです。

注文が入らないのがストレスなのではなかったのです。

それらができないと、苗を育てることができなくなるのが、一番大きくて深い根っこだったのです。

そんな折、注文が回復してきて、手元に現金が残るようになってきました。この状況にぼくは神様を感じずにはおれませんでした。

その神様はいいます。

「やっとわかったか。ほれ、これで種を買えるじゃろ。苗を育てられるじゃろ。わかったらはよやらんかいこのすかたん。」

口は悪いですけど、いいところもあるんですよ、うちの神様。

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電話番号

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