野菜直売所 かなんな農園の朝市 河南菜農園

野菜直売所 かなんな農園の朝市 河南菜農園 無農薬(まったく使いません。) 無肥料(年に数回米ヌカをふりまく程度。) 耕しもせず(竹炭を入れるためにショベルを使うときがある。) 水やりもしない(雨と露で十分。) 農法でとれる野菜を販売中。

ぼくはじつは枚方市生まれなのですが、それのおかげか、枚方市からはたくさんの注文をいただいている。これが縁というものだろうか。注文の数が少なくてピンチのときなんてのは個人事業をやっているかぎりだれもが経験することだとおもうが、そんなときにもな...
09/12/2024

ぼくはじつは枚方市生まれなのですが、

それのおかげか、枚方市からはたくさんの注文をいただいている。

これが縁というものだろうか。

注文の数が少なくてピンチのときなんてのは個人事業をやっているかぎりだれもが経験することだとおもうが、そんなときにもなぜか枚方市からの問い合わせだけは途絶えなかったりする。

不思議だ。

今回もその枚方市からの注文でした。

公式LINEのアカウントのほうへいただいた、初めての問い合わせは誰がどう読んでも外国人の名前でした。

英語のほうがいいですか?
日本語のままでいいですか?
と問いかけると、

Let’s go with English!!とのこと。

写真を送ってきてくれたので、だいたいの金額を伝えて、いざ訪問。

外国人のご主人には会うことはできませんでしたが、日本人の奥さんといろいろ話すことができました。

小さな赤ちゃんが、12月冷たい風に吹かれて泣いてしまいましましたが、最後はたいへん感謝していただきました。

野菜を育てようとしたけど、あまりうまくいかず、もうやめてしまおうとのこと。

このときに無料で回収した、長方形のプランターや不織布のプランターはすでに、もらい手がついて、今ごろ土が入って活躍しているころでしょうか。

このプランター類の無料回収をいたく喜んでくださったご主人は、帰宅後メールをくださいました。

Great. I’m glad they are getting used rather than just thrown away.

Thanks for running such a sustainable business.

今日は枚方市で数件の土回収をしてきました。そのなかの一件がとあるマンションでの土回収の仕事でした。お問い合わせをいただいたときから、けっこう頻繁に情報をくださる方で、なにも言わないうちから写真をメールしてきたりする女性。その正体は、かーなー...
06/12/2024

今日は枚方市で数件の土回収をしてきました。

そのなかの一件がとあるマンションでの土回収の仕事でした。

お問い合わせをいただいたときから、けっこう頻繁に情報をくださる方で、なにも言わないうちから写真をメールしてきたりする女性。

その正体は、かーなーり優柔不断な人でした!笑

たくさんの確認メールは、自分の中でいろいろな心配事や不安をつくりだして、それを自分のなかで時間をかけて解決するための確認メールだったのだと感じました。

こういうふうに書くと、あたかもぼくがその女性を非難するかのように聞こえるかもしれないが、そんなことはまったくない。

なぜなら彼女には一つの大きな武器があるのだ。

それは一番最後にでてくる笑顔だ。

その笑顔は、会話の区切りの一番最後にしかでてこない。

数少ないその笑顔がでてきた瞬間、ぼくはすべて報われたような気になる。

その笑顔をするとき、彼女の前歯がすこしだけ顔を覗かせる。なぜだかわからないが、前歯の2本だけが顔をのぞかせる。どういう仕組みだろう。

人によっては悪口になるかもしれないが、ビーバーが笑ってるような感じだ。

ビーバーに会ったことはないが、川に自分の巣を作るときに木をかじっていて、数秒間、周囲を確認する、命の脅威が迫っていないか確認する、そして自分が安全だということを確認すると、すこし安堵する。

ぼくの想像のなかで、その安堵した瞬間の顔に彼女の笑顔は酷似している。

重ねて言うが、彼女は優柔不断で、自分がもう一回部屋に戻って追加の土を持ってくるかどうかすらも、存分に迷う。

これ以上の困りごとはないぞと言わんばかりに眉間にシワを寄せて、周囲の時間のことなどお構いなく、脳を集中させてありったけの時間を使う。

やっとのことで、部屋に戻ることを決意して、部屋に戻る。

じつは、ぼくはこの部屋に戻ろうとする瞬間を目撃していない。

彼女の眉間にシワが寄りはじめて3秒くらいたったころ、だめだこりゃ、ということで自分の作業に邁進していたからだ。

あんなのに付き合ってたら時間がいくらあっても足りない、嫌いな人ではないが、ぼくもぼくの時間を無駄にはしたくないのだ。

彼女が一階のエントランスに追加の園芸用土を持ってきたころには、ぼくははじめにご依頼いただいた分の作業を終えていた。

おそらく彼女は部屋に戻る間も、部屋に戻ってからもたくさんの悩み事を想像し、時間をふんだんに使ってきたのだろう。

そこまで想像しているぼく自身、すでに彼女の術中にはまっているのかもしれない。

追加の土を持って一階エントランスに現れた彼女は、ここでまたこの土を本当に回収してもらっていいものかどうか、はー困った、みたいなことを始めた。

ぼくは言ったよ。

もーえーやろ。

もちろん笑顔で言ったけど、はよしてくださる?と言いました。ごめんやで。あまりに遅いもんで。ビーバーというか、このときはナマケモノだった。

いろいろながなが悩んだあと彼女はこういった。もういいや、全部お願いします。ニコッ。(ここであの前歯が2本現れる)

若い女性ではない、髪の毛にも白髪が混じっている、オシャレに気をつかっているふうにも思えない。

でもそんなことはどうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。

はっきり言って、あと5分は早く帰路につけたろうと思う。

でもそんなことはもうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。

最後の最後、別れるときには、彼女は『またお願いしますね』というのも悩んでいた、ついにぼくがその場を離れるまでに、またお願いしますね、とは言わなかった。

ぼくがそのマンション群を離れて、さてお昼ご飯たべようかなと思い始めたころ、メールが来た。

『今日はありがとうございました、またお願いしますね。』

早よ言わんかい、とツッコミながら、ぼくの顔はほっこり和んでいた。あのビーバーの笑顔を想像したからだ。

この写真のもので税交通費込み5,500円でした。ここからまた彼女は追加していくのだが。笑

かなんな農園 川崎康裕

02/12/2024

今日は藤井寺市で土回収の仕事がありました。

園芸好きだったお母さんが高齢のため施設に入られたとのことで、その娘さんから依頼がありました。

はじめ、電話がかかってきたときから、ものすごい応援してくれている感はあったのですが、今日いってみると、ものすごい応援してくれました、ありがとう。

自然農や、共生農法、木村さんの自然栽培の話をしたあと、いろいろな話をすることができました。

ガーデニングの話から竹炭の話に移ったあたりで、『うちの社長の庭が竹でえらいこっちゃ』とのこと、

すかさず放置竹林を探していることを伝えて、名刺をお渡ししました。

放置竹林が見つかるかもしれないということと、応援してくれている人に名刺を渡すことができ、そのうえ連絡をいただけることまでとりつけられました。

一期一会に感謝。

もっと出会いを大切にしていこ。

園芸用土の処分のしかたがわからない人はDMください。

かなんな農園 川崎康裕

本当は18千円くらいのところ、25千円いただきました。無駄にせぬようがんばります。

30/11/2024

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2024年11月30日(土)
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最近、中国人の家族と仲良くなった。
そんじょそこらの仲良くなった、ではない。
一緒に食事にいって、笑いが絶えないくらい仲良くなった。

はっきり言ってぼくは中国人が大好きだ。
気遣いの中に、遠慮のなさが同居しているあの感じが好きでたまらない。

一番最初の食事はジョリーパスタだった。いわずとしれたファミリーイタリアンだったが、本当に楽しかった。

二回目の食事が昨日、
中国人家族が住むあたりにある本格中華のお店だった、本格中華どころか、中国人が中国語で営業しているお店で、お店のなかに入るとあれは八角の匂いなのだろうか、中国に旅行したときのような匂いがする。

香港にいったときには、レストランのそばに立っていると漂ってきたあの匂いだ。ぼくはあれが好きでたまらない。

中国人の奥さんのほうは紛れもないアジアンビューティーだ、日本人にももちろんきれいな人はたくさんいるが、話す雰囲気は良い意味でぜんぜんちがう。

ご主人のほうは、紛れもない金持ちで、彼が行う仕事の関係で来春からタワーマンションに移り住むという。根掘り葉掘りいろいろな質問をしていくと、たくさん仕事のことについて教えてくれる。

いわゆる会社員ではなくて、個人事業主なのだが、彼に聞くまでそんな仕事があることすら知らなかった。稼ぐ力は半端ない。

かれはぼくにもっと働かなくてはいけないんじゃない?とことあるごとに言ってくるが、いつかぼくのやっていることを知ってもらったときに逆に言ってやろうと思う、すべての時間を稼ぐことに使っていたら、それで稼げなくなったときに途方にくれるよ、ぼくが竹炭を焼いたり、狩猟のために時間を費やすのは、このグローバルで流れの速い社会のなかで、生き残るための術なのだと。

でもこれは自分で考えた事業を自分一人の力で切り拓いたことのある人にしか通じないことなのかもしれない。そしてそんな人がほかにあまりいないこともよく知っているつもりだ。

ご主人、いつもおごってくれてありがとう。

28/11/2024

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2024年11月28日(木)
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今日はぼくからある知人への手紙というかメールというか、を作文していこうと思う。

これを書き終えてから、送信するかどうかを決めようと思うので、はじめから変名でいきます。

久田さんへ

いつもぼくに関わってくれてありがとうございます。

久田さんには一年前くらいから、ずっと謝らないとな〜と思っておりました。

謝る?
という感じかなと思います。
すみません、突然。

今月、畑に伺ったときのことも謝らなければいけません。

というのは、畑にお伺いしたとき、畑にいらっしゃった他のおじちゃんたちが手伝おうとしてくれたのに、ぼくは無下に断ってしまいました。

久田さんもご存じの通り、ぼくはいま巨大な目標に向かって進んでいます。ですが一歩一歩進んでいくと、意外と進めることに気付かされます。死ぬまでに到達できないだろうと考えていた場所が少し近づいたようにも感じる今日この頃です。

ぼくが言う一歩一歩すすんでいくというは、なかなか面倒な作業も含まれます、ビジネスや勉強といったことだけでなく、頭のかたい田舎のおっちゃんたちに頭を下げて、笑顔をふりまく作業、我慢や忍耐も含まれます。

我慢や忍耐ができるのは、ぼくが真剣だからです。
文字通り死ぬほど真剣です。
街を歩いていても、ぼくほど真剣に生きている人を見かけません。

真剣に生きているとはどういうことなのかというと、遠い将来のことまで考えている、と言い換えることができるかもしれません。

ビジネスとしての
1年後
3年後
5年後
10年後

子供たちが生きる
50年後
100年後
300年後

地球としての
500年後
1000年後
1万年後

ぼくはいつも遠い未来のことを考えてしまいます。

ぼくが死んだあと、人類はどう生きるか、そのときの地球の状態は、そのためにいまやめるべきことはなんだろう、とかそういうことです。

やめるべきことは戦争にちがいありません。

戦争が起こらなくするのは不可能だけど、戦争が盛り上がらなくなるようにするのは可能なんじゃないかと、最近は思います。

そういうことを真剣に考えて実現する道はどこかと頭の中で考えるのですが、そんなぼくも現代を生きています。

トラックのなかでそういうことを考え、
久田さんの畑の近くでトラックから降りる、
そんな感じです。

そこで出会う人たちは、現代を思いおもいに生きています。
思いおもいにぼくのことを手伝おうとしてくれるし、ブルーシートの上の土のう袋をトラックからおろしてくれようともします。

あの安物のぼろぼろのブルーシートも、かれらにとってはただのぼろぼろのブルーシートだろうと思いますが、ぼくにとってはやぶれないように大切に使って、できるだけ出費しないように、そろそろと使ってきたものなのです。

だれも考えたことのないビジネスを形にして収益化していくという作業は、こういう地道な節約でなりたっています。

いままでもたくさんの人たちがぼくの作業を手伝うために善意で集まってきてくれましたが、道具の扱い方のあまりの雑さに、

うーん、やっぱりうまく書けないですね。

またなにかの機会にこの作文にトライしようと思います。

要するに、笑
手伝ってくれてるのに、無下に断ってごめんやで、というところです。

26/11/2024

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2024年11月26日(日)
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昨日は神戸市東灘区のお客さんを訪問してきた。

園芸用土の回収のために訪問した先は4階だてマンションの4階部分、エレベーターはなし。

おそらくこのお客さんはこのマンション自体を保有しており、なにかの理由で、ほかに引っ越しすることが決まっていた。かなりのお金持ちで、かなり広い屋上のようなベランダ部分に、庭を演出するためのたくさんのものがある。

その大部分を占める超大型(浴槽になりそうな)のプランターのなかにはぎっしりと土がつまっており、土だけでなくけっこう大きな幹に成長してしまった植物が鎮座しておられます。

これはなかなか大変な仕事になりそうで、エレベーターもないことからクレーンを手配しなければいけないのは間違いなくて、しかも今回は、電線がクレーンの邪魔をしそうなので、重量屋さんも手配しなければいけなくなりそう。クレーンの設置場所によっては道路使用許可を警察署に届けなければいけないし、そうなると警備員の手配も必要になってくる。

しかも、納期は12月中旬ときた。

今日は11月26日(火)。

おもしれえ、やってやろうじゃねえの。

明日は予定を変更して、神戸市周辺の重量屋さんを訪問して、見積もりをしてもらおうと思う。

土の回収料金は10万円をゆうに超えると思うが、クレーンや重量屋さんの料金を含めると50万円くらいかかるんじゃないだろうか。

仕事になるかどうかはわからないけど、とりあえずすべての金額を見積もりして、お客さんに検討していただける状態までもっていこうと思います。

がんばろ。

||||||||||||2024年11月23日(土)||||||||||||7年前くらいのこと、ぼくはお肉を食べなくなった。以前から持っていた自分の中の矛盾もきっかけといえばきっかけだが、ビーガンの人たちにたてつづけに出会ったというのが大き...
23/11/2024

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2024年11月23日(土)
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7年前くらいのこと、ぼくはお肉を食べなくなった。

以前から持っていた自分の中の矛盾もきっかけといえばきっかけだが、ビーガンの人たちにたてつづけに出会ったというのが大きい。

お肉食べないということを続けてこられたのは、「体に合ってる」というのがやはり一番大きい。

以前は1ヶ月のうち数回、口内炎をおこしていたが、いまではぜんぜん口内炎はなくなった。

お肉を食べなくなったことで、悪い影響は思い当たらない。

すこし家族に面倒な思いをさせているかな、くらい。

そもそも自分のなかにあった矛盾とは、
▼お肉はおいしくて、もっと食べたくなる。
▼youtubeでライオンがガゼルを狩る映像を見ると、しっかり残酷だと思っちゃう。

おいおい、よく言うな川崎よ。とぼくは思うのだ。

川崎が食べてるそのお肉もしっかり数日前に苦痛をもって屠殺されている、しかもその数分まえにはアドレナリン全開になるほどの死への恐怖があったはずだ。

そのいかにも現代的良い子ちゃんの矛盾のお風呂に肩までつかっているのが嫌で、ぼくはお肉を食べるのをやめた。

いつかお肉を食べることがあるなら、涙を流しながら、ゲロを吐きながら、自分が持つナイフで、とどめをさした命の肉体をいただこうと思う。

▼▼▼

ところでぼくは農業をしている。

ある日、さつまいもがきれいに誰かに盗まれていたことがある。

盗まれたと錯覚するほどきれいな痕跡で、猪だと気づいたのは足跡が残っていたからだ。

そのときに気づいた、この日本に広がる広大な耕作放棄地を普通の農地に変えていくためには狩猟を学ぶことは避けて通れない。

狩猟だけでなく、酪農の知識も必要だろうと思う。

でもまずは狩猟からだ。酪農はおそらく人と一緒じゃないとできないだろう。

畑にくる猪すらも収益に変えていかなければ、ビジネスとして勝つことはできないだろうし。

ビジネスに勝つことができなければ、才能も集まってこない。才能が集まらなければ社会を変えることなんてとうてできないだろう。

まずは今シーズンに罠猟から始めてみる。

||||||||||||2024年11月9日(土)||||||||||||今週は狩猟免許の勉強と渋柿を干す作業にいそがしかった。河南町5号地の畑にはじめから植わっていた渋柿の木は年々収穫高が増えて、今年の秋は150個程度を収穫できた。それの...
09/11/2024

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2024年11月9日(土)
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今週は狩猟免許の勉強と渋柿を干す作業にいそがしかった。

河南町5号地の畑にはじめから植わっていた渋柿の木は年々収穫高が増えて、今年の秋は150個程度を収穫できた。

それの一部をジップロックにいれて焼酎漬けにし、甘い柿に変身させていく以外の100個以上は柿はすべて干し柿にした。

空き時間を利用して干し柿にしていくこの作業は好きでたまらない。

柿の皮をむいていく作業は愛おしくてたまらない。

スポーツ刈りになった柿たちがうちのベランダで家族を癒している。

とまあ、最高の作業をしつつ、11月10日(日)には狩猟免許を受験するので、そのための勉強も欠かさずやってきた。

落ち着かない受験勉強になったが、銃の取り扱いの部分以外はだいぶ完璧になった。

明日の朝、起きてジョギングして受験会場に向かう前に、銃の取り扱いの部分を完璧にしていこうと思う。

隙間時間をそんな形で忙殺されながら、今週のなかばにぼくは一人で道を歩いていた。急いで帰ってすこしでも勉強しようと思っていたからだ。

そんなとき、むこうから自転車にのった男性がむかってきた。

ゆっくりゆっくりと自転車を進ませながら、その男性はスマホで何かを見て、笑いをこらえている。楽しそうに笑っている。楽しすぎて声がでそうになるのを我慢しているため、眉毛は八の字になり、口はパンパンになっている。

今月から自転車に乗りながらのスマホには罰金が課される法律が施行されたというのに、その男性はそんなことおかまいなしだ。

でもぼくはその男性を見て、幸せな気分になった。あの男性が通り過ぎたあと、あの顔を思い出すとブッと吹き出した。

いままで急いで帰ろうと歩度をはやめていたけど、そんなことどうでもよくなった。

法律のことをどうでもいいなんて考えたことはないけど、ぼくは明らかにあの男性の笑顔を楽しんだ。

しかもちょっとリラックスして、気分転換までしてしまった。

ありがとうおっちゃん。

明日、狩猟免許うかってきます。

||||||||||||2024年11月1日(金)||||||||||||ぼくに言わせれば、クリスマスにつぐゴミ量産イベントが日本にやってきた。だ。人間が笑って、豊かになればなるほど、ゴミは増え、水は空気は汚れていく。ぼくが総理大臣になった...
01/11/2024

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2024年11月1日(金)
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ぼくに言わせれば、クリスマスにつぐゴミ量産イベントが日本にやってきた。だ。

人間が笑って、豊かになればなるほど、ゴミは増え、水は空気は汚れていく。

ぼくが総理大臣になったあかつきには、ハロウィンで使うコスチュームや道具などはすべて自然由来の有機物でつくること、みたいな法律をかましてやろうと思います。

▼竹ひご
▼いねわら
▼綿花

ものすごい素朴なハロウィンができあがるだろう。ハロウィンの時期は京都に来るインバウンドが落ち着くかもしれない。笑

ハロウィンのなかでも、あのカボチャだけはなんといっても有機物だ、巨大な有機物の塊だ。

あいつを堆肥にするだけでもどれだけのゴミが減るだろうか。

石油製品で作られたものではないため、それほど地球環境にたいしていいことをしたとはいいにくいが、あのカボチャを堆肥にリサイクルすることが浸透したら、少しは意味があるかもしれない。

以前からそういう問題意識を持っていたところ、インスタでつながっていた外国人の人から、やってみませんか、とお声がけいただいた。

そこでこのカボチャを堆肥として使いたい人を募ったり、自分の畑で腐らせてみようと思う。

カボチャ欲しい人いませんか?

ハロウィンの翌日にはカボチャだけが、かなんな農園に集まるという流れができたらいいな。

こんなでかいのは炭にはならないだろうしな。

もし、炭にできそうなら、ハロウィンが炭素固定イベントになるやん!とかいって盛り上がれるのはおれくらいか。

がんばろ。

||||||||||||2024年10月28日(月)||||||||||||今年のはじめあたりに勃発した、WEBからの注文ゼロになる事件は収束し、注文数は以前よりも回復して落ち着いていた僕ですが、もう「やらなければいけないこと」をあとまわし...
28/10/2024

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2024年10月28日(月)
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今年のはじめあたりに勃発した、WEBからの注文ゼロになる事件は収束し、注文数は以前よりも回復して落ち着いていた僕ですが、もう「やらなければいけないこと」をあとまわしにはしないことを決めています。

注文が回復し、お金がすこしずつたまってきたこともあり、ぼくはchatGPT先生と契約しました。やっとこさ。

GPT先生に教えてもらいながら自分のウェブサイトの手を加えなければいけないところをすこしずつ変更していってます。

htmlプログラミングをご存知のかたであれば、いまそんなことやってんの案件ですが、

冒頭のを

に変更しました。

何年前にやっとかなあかんねん、と言われそうな内容ですが、素人がやるとこんなもんです。

そして、GPT先生に教えてもらいながらやったところ。

グーグルのサーチコンソールではこんな表示が(写真)

表示数もクリック数もゼロになり、顔面冷や汗状態です。

さてどうやって解決するのか、GPT先生に聞いてみよっと。汗

27/10/2024

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2024年9月29日(日)
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||||||||||||2024年9月29日(日)||||||||||||負債論という名前のついた分厚い本、というか書物を読んでいます。笑どれくらい分厚いかというと700ページくらいある。なぜこの本がこんなに分厚いかというと、人間の歴史を5...
29/09/2024

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2024年9月29日(日)
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負債論という名前のついた分厚い本、というか書物を読んでいます。笑

どれくらい分厚いかというと700ページくらいある。

なぜこの本がこんなに分厚いかというと、人間の歴史を5000年くらい前から負債というものを絡めて書いてあって、それを読んでいて楽しくなる様々な実例をひきあいに出して書かれてあるから、自然と700ページにもなっちゃったんだろうなという感じがします。

負債論
貨幣と暴力の5000年
David Graeber著

経済学の書物ということになるんだろうけど、これがなぜか読みやすい。

ただ、ものすごい分厚いので鞄のなかにいれづらい。
そのため読む速度が遅くなり、図書館の期限である2週間には到底まに合わない。

2章まで読めたので、また次回予約して読んでみようと思う。

第二章は物々交換の神話。

この章でデイビッドさんが言いたいことをギュギュッとまとめてしまって、それを大阪弁にするとこんな感じだろうか。

みんな、むかしは物々交換がほんまに行われてたと思ってるやろ、ちゃうでそれ。

ぎょえー、まじか。みたいな感覚になる。
しかも、お金のなりたちや、硬貨の歴史などは、アダムスミスさんの語ったことをそのまま現代人がなんの調査もせず鵜呑みにしているだけで、負債という側面から見つめ直さなければ、その勘違いはずっと続いていくことになるよ、みたいなことをささやいてくれる。

心の底から、ギョエーとでてくる良い本だ。

もうそろそろ図書館の期限がくるので、この本はこれくらいにしておいて、来週から始まる10月は、狩猟免許のための勉強と、竜馬がゆく最終巻に時間を費やそうと思う。

狩猟免許にうかるための勉強をするだけではなくて、狩猟というものの本質を学んでいくために必要な知識をこの時期につめこんでおこうと思う。

あまりに多くなりすぎた人口を賄うための、不健康な畜産。お肉は食べるのに、ライオンがガゼルを狩るところを、座り心地のいい椅子のうえでインスタ の画面で眺める。残酷だと思う。そんな矛盾がいやでぼくは肉の塊を食べるのをやめたのですが、自分で仕留めた鹿の体を解体しているとき、ぼくは吐き、涙を流し、休み、また吐きながら解体を始めるだろう。そこまで苦労して、真剣に命と向き合ったのなら食べてもいいと思う。そこまでしてもまだ食べたいという欲深さとも向き合い、なにしてるんだ俺はとか考え、悩み、そこまでしたのならお肉を食べる資格があるって思う。

一方で、司馬遼太郎さんが描く坂本竜馬の最終巻では、大政奉還という奇跡を成し遂げた竜馬さんが、寺田屋で新撰組に殺害される。あの時代、この国で、一番殺されてはいけない人が殺害されるこの事件を読むとき、ぼくの心は鷲掴みにされてブンブン振り回されるにちがいない。

10月は一年のなかで一番好きな月かもしれない。

明治維新を生きた志士が一人、令和の世の中を生きているような違和感を感じる10月になりそうだ。

鬱屈とした心を溶かせるために当時の志士は酒を飲んだという。

でもぼくには必要ない。明らかに自分が目指している道があるからだ。稼げば稼ぐほど地球がきれいになる農業をみつける。この指針があるからぼくはぶれずに生きられる。鹿と命のやりとりをするときも。大好きな竜馬さんが殺されるシーンを読んでも。道に迷うことはない。

||||||||||||2024年9月13日(金)||||||||||||「普段ベジタリアンの猟師誕生か」というタイトルで今日は書いていこうかと思います。ベジタリアンといっても、お肉の塊を自分からは食べないだけで、卵も食べるし、魚も食べるし...
13/09/2024

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2024年9月13日(金)
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「普段ベジタリアンの猟師誕生か」
というタイトルで今日は書いていこうかと思います。

ベジタリアンといっても、お肉の塊を自分からは食べないだけで、卵も食べるし、魚も食べるし、チーズなんて大好きだし、いわゆるビーガンではありません。

お肉が嫌いで食べなくなったわけでもないので、スープやシチューに紛れ込んでいたお肉が口の中に入ったりすると、じんわりおいしさが広がります。

お肉の塊を食べないようにしようと決めたのは何年前だったか、コロナの数年前だったと思います。

そのころ関西空港のテナントでバイトしていた川崎は、いつものように仕事を終えて、JR関西空港駅に向かいました。改札を抜けようとしたときに、さっき日本に初めてつきました興奮してます、と言わんばかりのアジア系外国人の若者が切符らしきものを改札機に入れてはピンポーンと跳ね返されていました。

気さくな川崎はその青年に声をかけます。

「通れませんねん。。」
「なるほど、そら通れへんわ、いまいれようとしてんのは領収書やで、こっちの小さいのが切符やで」
「ほんまかいな、大きいほうが切符やと思ってたわ。」

というわけで一緒に改札を通り、無論、大阪市内へ向かうその青年とおよそ50分間を隣の席で話しながら電車に揺られることになったのが、お肉を食べなくなったひとつの大きなきっかけでした。

その青年の名前は
シド
インド人
カナダ在住
ビーガン
ハーバード大学卒
世界中の誰もが知ってるような企業に勤務

シドの笑顔が本当に愛嬌抜群なのもあいまって、たくさんの自己紹介をしているうちに仲良くなり、翌日京都で会ってお酒を飲むことに。

京都の居酒屋に到着し、ぼくは初めてビーガンの人が動物を食べない現場を目の当たりにした。微塵も入っていてはいけないのだ。

日本酒にはお米が使われてはいるけど、そのほかの調味料は使われていないかどうか、綿密な業務の打ち合わせのように、彼は動物を避けようとする。だから、日本酒を飲むときは必ず純米酒だけを飲むし、醤油を使うときはカツオ出汁などが入っていないかどうかを綿密に打ち合わせしなければならない。

ぼくはそれを見て大変だなという印象しか受けなかった。

でも少し興味はでてきた、とかその夜はその程度のものだった。

フェイスブックの交換をして、その日は楽しく飲んで、握手をしてバイバイしました。本当に楽しくて気の合うスーパー賢い友達ができた。

その日から一週間とたたないうちに、ぼくはビーガンの人にたてつづけに出会ったのです。

ああ、そういうことなのかな、という軽い気持ちでその日からお肉を食べなくなりました。

妻には手間をとらせてしまい、申し訳ないなという気持ちはあるものの、彼女は彼女でそんなぼくを楽しんでいるようなのでよかった。

お肉を食べなくなるまえから、ひとつの違和感はずっとあったのです。

お肉は食べるくせに、ガゼルがライオンに食べられる映像なんかを見ると残酷だと思ったりなんかする。なにが残酷なもんか、おまえなんか、ほぼ虐待に近い育てられ方をした牛や豚や鳥のお肉をうまいうまいと言ってたべてるくせに。

という違和感です。

もしお肉を食べたいのなら、泣いて喚いてゲロ吐いて、自分で捌いてみろ。

若い頃は心の中から外に出たことのなかった言葉が、お肉を食べなくなってから自然と自分に問いかけられるようになった。

ぼくが取得しようとしている狩猟免許の種類は2種類。
▼わな猟
▼第一種銃猟

自分の畑に入ってきた獣を捕獲して収益につなげられたらという思いで取得します。

ただ、わなにかかったとしてもその先の息の根を止める作業や、解体の作業に慣れていないと話にならないと思い、それに慣れるためには銃猟の免許も必要だろうなということで、この二種類を取得するつもりです。

試験日は11月。

死ぬほど真剣に講習をうけてこようと思います。

おそらくはじめて息の根をとめるとき、涙とゲロでぐちゃぐちゃになってそうだけど、そこから逃げたくはないのです。

以上、
次女の眼科での、軽い手術で気絶しそうになった男、川崎でした。

31/07/2024

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2024年7月29日(土)
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今日はこの作文でなにを伝えたいのかまだはっきりしていない。

その時になにを感じたのか、自分の心のどこに矛盾を感じるのかまだはっきりしていないけど、自分の人生の1ページに残る出来事だったので作文開始しようと思う。

散文になるにちがいない。

それではまいります。

ぼくら家族は土曜日に和歌山県のビーチに遊びにいった。

磯ノ浦ビーチという、サーファーの多いビーチだ。

お昼ご飯を自宅で済ませて、自宅をでたのが14時頃。

車にボディボードを積んで、ビーチに向かう道すがら、家族は全員車のなかで気持ちよさそうに寝ていた。

高速道路から降りてビーチもほど近い距離になったころ、コンビニに入っていつもは禁止されているジャンクフードを食べて小腹を満たした。

さあこれでいまから3時間ぶっつづけで遊んでもお腹は大丈夫、もつはずだ。

ビーチのそばの駐車場に車をとめて、アイドリングしながら車内で手早く着替える。

この時点では、ほんとうになんの違和感もなかったし、いつも通りだった。

水着に着替えて、防波堤をこえて砂浜におりる。

磯ノ浦ビーチはほんとうに感じのいいビーチだ。

砂浜や海岸はもちろん自然のものだから、岩があったり、草が生い茂っていたりするビーチもある。そういうビーチは海水のところへいくまでに自然の怖さを身近に感じるものだが、ここ磯ノ浦ビーチはそういうところがほとんどない。

駐車場から防波堤を超えて砂浜にでるとなんの障害物もなく、海水まで到達できる。

土曜日の磯ノ浦はなかなかいい波がたっていて、いわゆる膝腰の高さの波がたっていた。

それでもかなり遠浅の砂浜なので6歳の次女も安心して水遊びができる。

いまから思えば少し違和感があったかなと思い返すのが、多少の波があったとはいえ、長女が波をこわがっていたことだ。

長女はいま12歳で、ぼくとボディボードで遊びはじめて6年くらいはたっている。その間にはもう少し大きめの波のときもあったし、波に飲まれることもあった、波に飲み込まれるのも楽しんでいた印象だったが、土曜日はなぜかすこし水につかったくらいのときから長女は「ちょっとこわい」と話していた。

もうこのときには近くに死に神がいたのかもしれない。

ぼくにはまったく死に神なんて感じられないが、やはり子供はなにか感受性がちがうのかなといまとなれば思う。

異変が起こったのは5時をすぎて、おそらく6時に近い頃だったのではないかと思う。時計がないので何時かは確認できなかったが、太陽の傾きかたから察するに6時か6時すこし前といった時間だったのではないかと思う。

ぼくの目に映った異変とは、海のなかのそれほど深くない場所でサーフボードが異様にたくさん集まってるのが目に入った。

サーフボードはそれ自体が凶器になるため、海のなかでサーフボードが密集している状況はほとんどない。

それなのにそのときはサーフボードが誰の手からも離れている状態で4枚から5枚くらいプカプカ浮いているようだった。

その場所までぼくは50mくらいの距離にいたと思うが、サーフボードに体重がかかっていないと、波に煽られて傾いたりひっくり返ったりするので、すこし遠目でもなにか異常なことを察知できた。

長女に海からあがって次女とお母さんを待つように指示し、異常なほうへ近づいていった。

近づいているときに、陸のほうに駆けていく男性がいたので、救急車を呼ぶのかどうかを確認した。救急車を呼びにいくとの返答だったのでぼくは再び異常なほうへ歩み寄る。

60歳くらいの男性が意識を失っている状態で他の男性にかつがれている。

かついでいる男性の必死な形相から「当事者」なのが感じられる。

そのそばには二人の女性。女性のうちの一人は看護師であることをもう一人の女性が教えてくれた。

その場にいる全員が意識のない男性を砂浜に運ぼうとしている。

海水はふともものあたり。

その全員のサーフボードがそれぞれの腕や足にリーシュコードでつながれていて、ずっとそばを漂っている。

漂うだけでなく、波であおられて救助活動を妨げる。

そのときにはすでに60歳男性の右脇に入り、当事者の男性と両脇からかつぐ態勢ができあがっていた。

看護師ではないほうの女性に、ぼくのリーシュコードをはずしてボードを砂浜に運んで欲しい旨を伝える。

その後の彼女の行動は確認していないが、全員分のボードが砂浜に並べらているのに気づいたのはもっとあとだ。

歩みは遅いが着々と意識のない男性を砂浜のほうへ運んでいく。

この瞬間も、この瞬間から30分後も、ぼくはこの男性の意識が戻るとずっと考えていた。

ぼくが加勢してからは、格段にスピードアップし、もうすでに波が届かない場所まで到達している。

看護師の女性の意見で、砂が乾いている場所よりも多少濡れているこの場所のほうがいいということになり、ぼくらはそこに男性をおろす。

おろすと同時に看護師の女性が心臓マッサージの態勢に入る。

濡れた砂のうえに膝をつく。
片手を水月に添えて、その上からもう片方の手を置き、一回、二回と心臓マッサージ。

その二回で看護師はウェットスーツが邪魔なことを確認。

脱がす、という彼女の短い命令で、ぼくらはそれぞれの持ち場につく、一人は左手、一人は右手、ぼくは左手の腕時計をはずす。

意識のない人間の両腕をウェットスーツから引き抜くのにこんなに時間がかかるのか。

信じられないような長い時間が過ぎていく。

看護師は脈を確認していたが、なんど測っても脈はないような表情をしていた。

やっとの思いで両腕をウェットスーツから引き抜き、引き抜くと同時にまた看護師の心臓マッサージがはじまる。

心臓マッサージはものすごい体力を消耗するのだとぼくはここで痛感する。

看護師の心臓マッサージがすこし精彩を欠きはじめたからだ。

その瞬間、近づいてきた男性がかわるための意思表示をした。

ぼくが彼女は看護師なんだと伝えると。

彼は自分は医師ですと伝えた。

医師の心臓マッサージが始まる。ときどき人工呼吸も織り交ぜる。

この日のぼくのなかでの一番の後悔は、この人工呼吸をぼくが担当しなかったことだ。

救助活動というものが人生で初めてだったぼくは、それをぼくがやるべきなのかどうかも判断できなかった。

でもつぎはやる。やってだめなら叱られて終わればいいのだから。

この頃には1台目のAEDが到着し、心臓マッサージをする医師の横で準備をし始めたが、AEDは作動しなかった。

だれからともなく、AEDをさがしてきてくれという声があがり、数人が駐車場のほうへ走っていく。

医師の心臓マッサージも消耗してきたころ、消防士だという二人組の男性が交替して男性の横に膝をついた。もう一人は男性の頭のほうへしゃがみ、男性のあごの骨のあたりに指をいれるような感じで、なかば固定するような、なかば脈をはかるような態勢をとった。

まさにプロの仕事だ。

消防士が心臓マッサージをし始めた頃、急激にまわりの雰囲気が冷えていく。

日没。

ぼくはこの時点でも救命を疑わなかったが、医師や看護師、消防隊員にはもうすでに救命には至らない何かが見えていて、その雰囲気が急激に空気を冷やしていたのかもしれない。

その冷えた空気は磯ノ浦ビーチ全体を覆っていた。

救命活動に携わった者、近くで見ていた者、遠巻きに見ていた者、そのことに気づかずサーフィンを楽しんでいた者、磯ノ浦ビーチにいた全員がその冷えた空気に覆われていた。

喜怒哀楽ではなく。

生と死の間の静けさとでも言えるだろうか。

ぼくの場合はその空気のなかに無力感を介して入った。

これほど浅い知識で生きてきたのかと痛感し、ゆるやかな風に体を冷やされて、ぼくはその冷えた空気の中に入っていった。

ある程度の時間が経過した今でも、その空気はぼくのまわりにあるように感じる。

ぼくらは全員いつか死ぬ。という空気がぼくのまわりにいまもある。

とくに不快とは感じない。

むしろこの空気が身近にあることのほうがいいとさえ思う。

でも死ぬのはこわい。

死ぬときに痛いから怖いのか?

死ぬ時は痛いのか?

愛しているものに会えなくなるのが怖い。

いい経験だったなんて口が裂けても言えないが、このことをいつも胸のあたりに携えて生きていこうと思う。

17/07/2024

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2024年7月17日(水)
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今朝は午前7時から大阪府立高校に仕事にいってきた。

いまから書くことは、その高校にいた一時間程度の感想文のようなものだ。

午前7時ちょうどから始まったその仕事というのは、園芸用の土を納入する仕事だった。

家庭科の女性教諭と数人の生徒が、校舎裏の余った敷地を利用して、菌ちゃん農法をするための土を納入してきた。

はじめにその女性教諭と校門のところであいさつを交わし、どこにおろすのか、トラックの位置は、ウネをつくる場所は、など簡単に説明をうけた。コミュニケーションはどれもスムーズだった。

途中、校長先生もあいさつに来ていただき、笑顔であいさつをすることができた。校長先生のブログに載せるということで、女性教諭とそのとき隣にいた生徒一人の三人で記念撮影もした。

そのやりとりはどれもさわやかだった。

自分のことしか考えない人間とのやりとりに関して百戦錬磨の川崎はそういう人と話していたらすぐに気づく。

彼らはそういう人じゃなかった。

家庭科の女性教諭もそうだが、この校長先生もしっかりと矢印は他人向きになっていると感じた。

その矢印はおそらく学校の生徒へ向けられているのだろうと思う。

そういうふうにぼくが感じたのは、生徒たちがけっして楽ではない土おろしの作業を手伝ってくれていたときだ、これから授業を受けなければいけないというのに、汗だくになりながらぼくの作業を手伝ってくれたのだ。

彼らはなんだかんだと話しながら、楽しそうに慣れないショベルを使って働いていた。

そのなかの一人は毎日アルバイトをしていて、自分がいくであろう専門学校の授業料をためているのだそうだ、コンビニでアルバイトをしていて、夜22時以降は高校生は働くことができないこと、うれしいこともあれば、嫌なお客に辟易することもあることなどを教えてくれた。

もう一人の生徒は控えめの性格なのかなと感じたが、とるべきコミュニケーションは普通に的確にとることができた。けっして派手な性格ではないにもかかわらず、ボクシングをしているのだと教えてくれた。好きでやっているのか誰かにやらされているのかは聞くことができなかったが、かれの大胸筋はたしかにアスリートのものだった。

手伝ってくれている男子生徒二人との共同作業の30分間で、ぼくは心から彼らのことをかわいいなと感じた。ぼくが高校生だった頃、いろいろな人からかわいいねと言われたけど、当時はその気持ちがまったく理解できなかった。

でもいまはその気持ちがよくわかる。

容姿がかわいいとかそんなことではなくて、いろいろな話をしたり聞いたりするあいだに素直さが垣間見えて、その素直さがかわいくてしかたなくなるんじゃないかと思う。

そうやって大人は話しすぎたり、説教じみたことを言ってしまったりするのかもしれないなと感じた。

そう、ここでやってはいけないのが、多くを話しすぎること。コミュニケーションの大半を聞くことにまわさなければいけない。

そこでぼくは今日、彼らに伝えることをふたつに絞った。

▼重いものを持つときどうすれば腰を痛めずに済むか。
▼汗をかいたとき、塩がどれくらい役にたつか。

この二点に絞って、これを説明するときは300文字以上を話すこともあったが、それ以外のときは50文字以内の質問になるように心がけた。

それがうまく伝わったかどうかを確認する方法はもうないが、それを伝えているときの、彼らの笑顔や態度、言葉、その素直さに、ぼくの愛情だけは伝わったんじゃないだろうかと思う。笑

彼らがそんなふうに育っているのは、ひとえに今朝出会った女性教諭や校長先生のように、縁の下で支えてくれている人たちのおかげなのだろうと思う。

社会はこういう人たちで成り立っている。

ぼくは彼らとはまったくちがう場所でまったくちがう仕事をしているが、100年後を生きる子供たちが立つ場所を、下で支える人間でいたいと、改めて考えることができた快晴の1日。杉の木と校舎の間から差し込む太陽はめちゃくちゃ暑いのに、なぜか今日はさわやかに感じた。

15/07/2024

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2024年7月15日(月)
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感動詞メインおっさんの食レポシリーズ。
今年第二弾はブラックベリーでございます。
野菜でも果樹でもやはりとれたてを食べるのが一番おいしいと思います。

かなんな農園の畑では農薬や肥料など、化学的なものを使わないので、土や葉っぱを触ったその手で収穫してパクッといくわけなのですが、その感じを知ってほしいなと思い、こんな自撮り動画を撮影するに至っております。

え、土を触った手でそのまま収穫してるの?えー、気持ち悪いと思った人には別に買ってほしいと思わないです。それを暗にアピールするためにもこの動画は欠かせません。

このブラックベリーを食べたときもそうですが、多少の虫くいがある果実もぼくは普通に食べます。

もちろん虫食いがあると認めたものは、たくさん噛んで寄生虫的なものが胃の向こう側にいくのだけは防いでいます。

ぼくはこれが自然なことだと思うから、水で洗ったりもしません。

むしろ、目に見えない土壌微生物を胃で消化して、その死骸を腸に送り込むことで、腸内細菌が多様化していくのではないかと考えています。(土と内臓、デイビットモンゴメリ著、参照)

花粉症にかかる気配がまったくないことを考えると、おそらくその考えであってるんでしょう。

そんな考えを理解していただける人だけに野菜が届けばいいなと思うので、こんな自撮りを始めました。

若干おちゃらけてはいるものの、心のなかでは実は嬉しくてたまりません。

ほんの数年前まではこんな動画を収録できるほどの収穫もできなかったからです。

▼無農薬
▼無肥料
▼耕やしもせず
▼水やりもしない
というやり方で行う農業っていうのはやはり難しいし、やろうと思えば一旦すべての農業知識を全否定しなければいけないという側面もあります。

それでいながら、近所の農家のあいさつもろくにできないおじさんに愛想をふりまいたり、自然のことをろくに理解しようともしない農協の人や自治体の人にもおべっかを使わなければいけません。

不毛にも感じる15年間を経て、やっと作物ができるようになってきました。

過去の思い出に安穏とするのは好きではありませんが、あの15年間を耐えた自分に一瞬だけ賛辞を送りたいです。調子に乗るから一瞬だけです。

それはそれは嬉しいのです。

でも嬉しいという気持ちに浸っているとスピードが遅くなるし、安心してしまうのが一番怖い。

だから涙がでるほど嬉しい感情をおチャラケに変えて食レポをお届けします。

甘いとか、

フルーティだとか、

そんなことを伝えたいわけではありません。

ぼくが伝えたいことは山ほどありますが、その中から一つだけ選べと言われればぼくはこう答えます。

おそらくこれが自然と人間が共存していくための唯一の方法です。17年くらいずっと自問自答してきたけど、おそらく間違えてないと思います。

11/07/2024

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2024年7月11日(木)
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今年の野菜セットにはオクラを入れることができそうです。

昨年はオクラと連作の関係があまりよくわかっておらず、自分の家で消費するくらいの量がとれるだけで、販売するには至りませんでした。

無農薬無肥料で栽培するにしても、連作のことは常に念頭に置いておかなければいけないことがわかりました。

また一歩前進です。

連作が農業にとってよくないことなんて百も承知なのですが、実際にそれを畑で実現するにはどういうふうに準備していかなければいけないかといったことがわかっていませんでした。

同じ農業でも無農薬無肥料というだれもやっていないようなことを進めていくには、進んではぶつかるを繰り返すのが一番成長が早いです。

そうやってぶつかりながら進んでいると、なんでこういうふうにやるのがいいんだろう?という疑問が浮かんできます。

最近、ぼくの頭の片隅にずっといつづけている言葉それは、
「土はどうやってバランスをとってるの?」
です。

これは連作についての話なのですが、

オクラなどの野菜ができて収穫します。

ぼくらが教わってきた科学では、大地からオクラがとれて、その分だけ栄養が失われる。その大地をほったらかしにしておいて、数年後またぼくらはオクラを栽培することができる。

なんで?

大地からオクラの栄養を引き算したあと、大地はどうやってそのオクラの栄養分を足し算してるの?

これにたいして現代の科学は明確な答えを持っていません。

でもぼくが畑で見て感じることは、
「小さな生き物が足し算してくれている」
です。

というよりも「足したり引いたりしてくれている」がより近い答えかもしれません。

小さな虫というのはアリとかミミズとか目に見えるものはもとより、センチュウとかカビとか目に見えない生き物も含みます。

アリやミミズはぼくの畑にたくさんいますが、彼らはどこからくるのでしょうか?これに答えられる科学者もいないと思います。

なぜ彼らはその場所に巣をつくるのか。

なぜ彼らはその場所を選んで、その場所を穴だらけにしていくのでしょうか。

翌年、彼らはなぜその場所を去るのでしょうか。

ただ一介の農夫が見て感じたことですが、それは植物たちとコミュニケーション(のようなもの)をとりあってその場所に決めて、巣の形を決めて、穴を掘り、卵を生み、冬にはたくさんの死骸(栄養満点)を置いていってくれる。

これが当たらずとも遠からずな土のバランスなのではないでしょうか。

そういうふうに考えると、土のなかでは栄養価がたかければいいんじゃなくて、
たとえば、
7・9・8・9・5
みたいな感じではなくて、
3・3・3・2・3
みたいにバランスが整っていることが良い土の条件なのではないかなと考えます。

以上、一介の農夫が考えていること。でした。

08/07/2024

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2024年7月8日(月)
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なんでトマトができただけで泣いちゃうのか、というところを今日は作文していこうと思います。

それを話そうとすると、だいぶ遠回りの話になってしまうので、どこから話すべきなのかいつも迷うのですが、一番始めからいってみたいと思います。よろしくお付き合いください。

ユニクロ、たこ焼き屋さん、トヨタ、保育園、幻冬舎、テスラ、インスタグラム、
現代社会ではたくさんの企業が活躍していますね。

その現代社会がかかえる問題の根っこの一番深いところを言語化してみると、「企業が稼げば稼ぐほど地球は汚くなる」ということになるとぼくは感じています。

高品質の衣服を安く提供するという企業活動。

外側はカリっ、内側はとろっとろのたこ焼きを提供するという企業活動。

人を満足させるという号令のもとに、企業活動に励んでいるけど、どんな企業活動でも地球環境に負荷をかけながら利益をだしています。

ぼくはそこを変えたいのです。

そこを変えるにはそういうビジネスをつくらなければいけないと若い頃考えていました。

稼げば稼ぐほど地球の水が空気が土がきれいになっていく、そんなビジネスをつくらなければと考えていました。

社会人になるまえは、社会というのはそういう問題があるのをわかっていて、どうにかその問題を解決するために全員が必死になって取り組んでいるところだと、淡く考えていました。

しかし社会人一年目の川崎青年が目にしたのは、そんな理想とは無縁の世界でした。

その頃からでしょうか、「稼げば稼ぐほど地球がきれいになるビジネス」という言葉がぼくの心のなかに幅を利かせ始めました。社会人といっても20代なんてほんとに何も知らない若造でしたので、ここまで言語化できていたとは到底思えません。

ただただなにかが間違ってると、思春期の延長のように悶々と考えは、上司に叱られていただけのようにも思います。

まさに見た目は大人、頭脳はお花畑、名探偵のような推理力なんてもちろんゼロな呆れた大人川崎青年でしたが、いろいろな本を読み勉強していくなかで、どうやら農業の形を変えたらいいんじゃね?という心もとない動機から週末に農業を始めてしまいます。あちゃー。

▼お花畑の頭脳からくりだされた農業というアイデア。

5年が経ち、10年が経ち、15年が経ち、その間このアイデアのままでいいのかとずっと自問しつづけるのですが、自答すればするほど、この道しかないんじゃないかという気になってくる。

そんな流れでぼくは
▼「稼げば稼ぐほど地球がきれいになる農業」▼
を探究しています。

探究しているとは言いつつも、この難解な答えが自分が生きている間にでるなんて考えもしませんでした。なにかその答えにつながるヒントのようなものが見つかり、次世代に伝えられたらいいか、くらいの気持ちでした。

そういうふうに考えることで精神的なバランスをとっていたのかもしれません。

地球環境問題になにもアプローチしていない自分に耐えられないので、とにかくめちゃくちゃ難しい問題にトライして、その難しさを理由にスピードの遅さをごまかしていましたのかもしれません。

▼農薬を使わず
▼肥料も使わない
▼耕しもせず
▼水やりもしない

この超絶難解な問題が一部とけようとしています。

だからたかだかミニトマトができたくらいでぼくは泣きそうになっているのです。

お花畑川崎は現在43歳、まだまだ勉強できるし働ける。でももう精神的なバランスなんて気にしない。あとはこれで稼ぎまくって地球をピカピカにしてやるわよ。

住所

Osaka, Osaka
546-0035

電話番号

+819039417360

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