横田農場 - 小川町

横田農場 - 小川町 埼玉県 小川町にある農場です。無農薬、無化学肥料での野菜作りに取り組んでいます。
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.後ろ手に受け取り前に渡すこと【後編】同じタネでも、土地が変わればカタチを変える。そこには必ず、土地の必然が生まれる。山がちな島国という風土を、あなたや私の立っている足元を、どんな風呂敷で包むのかは自由だ。それには、"無理がない"。農業での...
06/12/2025

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後ろ手に受け取り
前に渡すこと
【後編】

同じタネでも、土地が変わればカタチを変える。
そこには必ず、土地の必然が生まれる。
山がちな島国という風土を、あなたや私の立っている足元を、どんな風呂敷で包むのかは自由だ。

それには、"無理がない"。
農業での話を例にとれば、いつどこにいても一定の再現性と生産性を維持するのは、やはり難しい。
例えば化学肥料や農薬、改良種子、農業機械や施設は、自然との緊張関係から田畑を切り離し、最大効率を生み出すために使われてきた。
しかし、地形だけはどうにもならない。砂場遊びのように山や谷をそっくり平地に均すことは事実上不可能だ。
そこに、ロボットやAIを持ち込もうというアイディアが生まれている。だが、山地でいくら技術革新を起こしても、それは平地で簡単にスケールアップできてしまう性質のものだ。つまり、どこまで行ってもこの差は埋まらないのではないか(技術に風土性を持たせられるだろうか?)。結局、風呂敷をいくら広げても、包めるものは変わらないのかもしれない。
日本は、国土の約60%が山林であり、農地の約40%は山あいにあると言われている。
にもかかわらず、市場は今までその起伏を意識してこなかったと思う。
だから効率化を目指した末の耕作放棄が非効率な山から始まった。そんな皮肉が着実に今、平地へと下山しつつある。
これは、世界から見て山岳地帯に他ならない日本の農業が、衰退の只中にいるということでもある。
自然には、ヒトの力ではどうにもならないことが沢山ある。
文化は、自然との決別でなく折り合いの中で風土をかたどり、排他ではなく受容の中で、不変ではなく変化の中で育つ。
バトンとは、そういう重なりと起伏を持ったモノの事だと言いたい。

そうしてできたあらゆる地域の産物が、なんの脈絡もなく同じ棚に並べられてしまえば、違いを受け取ることは難しい。
戦後の食糧難から今まで、私たちは生産と流通をどれだけ効率化するかに腐心するあまり、大事なものを置き去りにしてしまったのだと思う。
それは、作り手の想いや、その土地の風土、そして生態系という、ものづくりの一番大事な事柄だったのではないだろうか。

その上でいま一度、一つ一つの生産物を立体的に並べ直し、生産と消費を繋ぎ直す存在が重要になっている。
風土から生まれる唯一無二の表現物を、産消の間に立って中継し、奥行きを編集し、理解を手助けする媒介者が、"本来の結び手のあり方"として。

寺田本家も横田農場も、同じようなことを別の風呂敷でやっていた。
そこにKIKI WINE CLUBが結び手として居た。
横田農場からKIKIへ、そして寺田本家へと、運ばれたのは米だけではない。伊賀から千葉へ、そして横田農場に拾われた荒木は、今再び風土に触れ、手から手へと渡った。
それは、土地とヒトとを由来にする物語だ。

その場所にしかない土、その風土で育つ植物、そこに住まう微生物をものづくりという風呂敷で包み込んでみたとき、そこには土地の記憶が宿る。それをバトンとして、次の担い手が起こす変化に託すことが絶え間ない地域性を産むはずだと思っている。
その一つの通過点が今年、麹になり、ドブロクになったのだと思う。

荒木を巡る100年の出会い。
その味わいに、拾ったバトンのゆく先を噛み締めてみるのも良いかもしれない。
その感じ方それぞれが、後ろ手に受けとったものを、担い手として前に送り出すきっかけになってくれたらとおもうから。




.後ろ手に受け取り前に渡すこと【前編】今から130年前、千葉県で生まれた荒木という米。近代化に伴った優良品種の登場を前に、敢えなく姿を消した。それから100年以上が経ち、遠く小川町で始まった在来種調査は、古文書の読み解きの末に荒木を復活させ...
06/12/2025

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後ろ手に受け取り
前に渡すこと
【前編】

今から130年前、千葉県で生まれた荒木という米。
近代化に伴った優良品種の登場を前に、敢えなく姿を消した。

それから100年以上が経ち、遠く小川町で始まった在来種調査は、古文書の読み解きの末に荒木を復活させることになった。

荒木の系譜は、今から300年ほど前の津藩伊賀国阿拝郡荒木村に始まる。黒稲の中から、白稲が生じたらしい。その旅路は津藩知行であった下総国(千葉県)香取郡(の一部)を経て、近郷の椎名氏の手に渡った。椎名氏は苦心の末に、形質の不安定だったその米を安定して生産できるまでにした。時は明治の中頃である。

小川町にあるKIKI WINE CLUBの提案で、寺田本家という自然酒の作り手とドブロクを仕込もうという話になったのは昨年のことだった。
なんの因果か、寺田本家という酒蔵がある香取郡神崎町周辺もまた、津藩と関わりがあった。荒木が旅した場所でもあると思われる。

数百年以上前に千葉にあった荒木を、その時代の蔵人たちが手にしていたかもしれないと、そういう想像に胸が膨らんだのは言うまでもない。

この不思議な巡り合わせが今年、ドブロクになり麹にカタチを変えた。
この出会いと繋がり、その物語は一体何であろうか。ただ埼玉と千葉のいち造り手がたまたま繋がっただけではない気がしていた。

………………

結局、復活した荒木が200年前の小川町で記された荒木と同一なのかどうか、そして100年前の千葉でそれが酒造りに使われていたかどうかは定かではない。
残念ながらこういった記録は、特別な出来事でない限り、取り止めのない当たり前のものとして日々と時代の波に削られて曖昧になってしまう。
紙と墨は今よりずっと貴重だったのだ。

昔は、それでも地域性が失われることはなかった。その土地の地形や土や水、気候や生態系など、あらゆるものは風土の上に練り上げる他なかったからだ。
つまり、土地の記憶は、ものづくりに自然と宿っていた。

今は、違う。
応用科学の発達で自然との緊張関係は緩み、飢えや寒さは過去のものになった。ところが同時に、再現性や量産性に特化した生産活動は、どこで作っても変わらないという状態も可能にしてしまった。
そうしてできた生産物の多くが、その地域にある必然性を持たなくなってしまったのだと思う。

人の生み出すモノと土地の結びつきが緩むと、地域はカタチを失う。
そうした消失感から、私たちは土地との結びつきが強かった時代に生み出されたモノに伝統や在来という言葉を与えて守ろうとしてきた。しかしだからといって、ノスタルジックな理想像をそこに据え、地域を限定して囲い込み、外来のものと隔離してしまえば、変化は生まれなくなってしまう。
いわばそれは、一種アーカイヴとしての役割であって、それを神聖視するのは、前に渡せないバトンを握り続けるようなものだと思う。

大事なのは、在来としての荒木を復活させたことよりも、次にどんな変化を起こすかだ。
土地の記憶を宿したバトンをいま一度拾い上げ、もう一度次の変化に託してみる。その変化は、土地の必然の中で起こす必要がある。
アーカイヴは、常に後ろ手にあるもので、目前に置いて目的化するものではないという確認は必要だと思う。

例えば小川町にある在来と呼ばれている作物が、神秘的な力によって突如現れたわけではない。それは、どこかの昔に誰かがそのタネを持ち込み、担い手たちが長い年月をかけて変化を起こしてきたものだ(なので広義では、それらも外来種と呼ばなければならない)。
もう少し話を広げると、実は和食で親しまれている食材のほぼ全てが外来種であることを知っているだろうか。
なぜ、外来の寄せ集めであるにもかかわらず、私たちは和食というオリジナリティを産むことができたのか。
ヒントは、そこにある。

そしてそれは、今でも起こっている。今までにない新しいタネが日本に、そして小川町に持ち込まれ、花を咲かせ、タネを取り続けているうちそれは風土を写し取ろうとする。オリジナリティの源泉はここにあるのではないだろうか。
ここでのタネとは勿論、作物だけのことではない。

文化は、風土を包んだ風呂敷のようなモノかもしれない。同じ風呂敷でも、風土が変わればカタチを変える。風呂敷もまた、個人の持つミーム(知識や技術、手法…)やジーン(自身と、その周りを取り囲む遺伝子たち)によって様々な情報が織り込まれていると想像して欲しい。
そして、風土とは違い、ジーンやミームは手を渡る。それは、時に間違ったり、抜け落ちたり、修飾されたりして、時間と空間を伝言ゲームのように伝わっていく。だから新しい言葉が生まれるし、突然変異も起こす。
コピー&ペーストからは、人類も、天麩羅も、コシヒカリも生まれなかったように。

後編につづく




…タヤキ
02/12/2025


タヤキ

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29/11/2025


青山在来大豆の脱穀が始まりました。
粒は例年より若干小さいかも。

真夏の乾燥と暑さの中、水を入れられなかった圃場でしたが、収穫量は例年並みよりちょっと多いかもという具合で、少しホッとしました。
これから来週にかけて脱穀作業が続きます。

…あっというまに霜の季節です
27/11/2025


あっというまに霜の季節です

…厳しい夏を越えて
19/11/2025


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…ムギマキ農林61ハナマンテンファッロライ
17/11/2025


ムギマキ

農林61
ハナマンテン
ファッロ
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…秋が終わります
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秋が終わります

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稲刈り

今年は少雨で水の入らない田んぼがあって苦労をしました。
それでもよく頑張ってくれた。

実りに感謝を。

…秋の種まき先月から色々蒔き始めています。葉物、カブ、大根
04/10/2025


秋の種まき
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葉物、カブ、大根

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雨。やっとの雨。高温と乾燥が約ひと月続き、その前もひと月ふらない日が続いた。野菜は枯れてしまったものもある。これはかなりきつい。秋まで売る野菜に苦労しそうだ。乾燥のせいで秋の計画もずれ込んでいる。たまに、市井の方たちが、この異常気象をどこま...
05/09/2025

雨。

やっとの雨。
高温と乾燥が約ひと月続き、その前もひと月ふらない日が続いた。
野菜は枯れてしまったものもある。

これはかなりきつい。
秋まで売る野菜に苦労しそうだ。
乾燥のせいで秋の計画もずれ込んでいる。

たまに、市井の方たちが、この異常気象をどこまで本気で受け止めているのか考えることがある。

そうこうしているうちに、農家は茹でダコになってしまうかも知れない。

住所

小川町青山1376/3
Namegawa-Machi Hiki-gun, Saitama
355-0324

電話番号

0493-72-2940

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