06/12/2025
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後ろ手に受け取り
前に渡すこと
【後編】
同じタネでも、土地が変わればカタチを変える。
そこには必ず、土地の必然が生まれる。
山がちな島国という風土を、あなたや私の立っている足元を、どんな風呂敷で包むのかは自由だ。
それには、"無理がない"。
農業での話を例にとれば、いつどこにいても一定の再現性と生産性を維持するのは、やはり難しい。
例えば化学肥料や農薬、改良種子、農業機械や施設は、自然との緊張関係から田畑を切り離し、最大効率を生み出すために使われてきた。
しかし、地形だけはどうにもならない。砂場遊びのように山や谷をそっくり平地に均すことは事実上不可能だ。
そこに、ロボットやAIを持ち込もうというアイディアが生まれている。だが、山地でいくら技術革新を起こしても、それは平地で簡単にスケールアップできてしまう性質のものだ。つまり、どこまで行ってもこの差は埋まらないのではないか(技術に風土性を持たせられるだろうか?)。結局、風呂敷をいくら広げても、包めるものは変わらないのかもしれない。
日本は、国土の約60%が山林であり、農地の約40%は山あいにあると言われている。
にもかかわらず、市場は今までその起伏を意識してこなかったと思う。
だから効率化を目指した末の耕作放棄が非効率な山から始まった。そんな皮肉が着実に今、平地へと下山しつつある。
これは、世界から見て山岳地帯に他ならない日本の農業が、衰退の只中にいるということでもある。
自然には、ヒトの力ではどうにもならないことが沢山ある。
文化は、自然との決別でなく折り合いの中で風土をかたどり、排他ではなく受容の中で、不変ではなく変化の中で育つ。
バトンとは、そういう重なりと起伏を持ったモノの事だと言いたい。
そうしてできたあらゆる地域の産物が、なんの脈絡もなく同じ棚に並べられてしまえば、違いを受け取ることは難しい。
戦後の食糧難から今まで、私たちは生産と流通をどれだけ効率化するかに腐心するあまり、大事なものを置き去りにしてしまったのだと思う。
それは、作り手の想いや、その土地の風土、そして生態系という、ものづくりの一番大事な事柄だったのではないだろうか。
その上でいま一度、一つ一つの生産物を立体的に並べ直し、生産と消費を繋ぎ直す存在が重要になっている。
風土から生まれる唯一無二の表現物を、産消の間に立って中継し、奥行きを編集し、理解を手助けする媒介者が、"本来の結び手のあり方"として。
寺田本家も横田農場も、同じようなことを別の風呂敷でやっていた。
そこにKIKI WINE CLUBが結び手として居た。
横田農場からKIKIへ、そして寺田本家へと、運ばれたのは米だけではない。伊賀から千葉へ、そして横田農場に拾われた荒木は、今再び風土に触れ、手から手へと渡った。
それは、土地とヒトとを由来にする物語だ。
その場所にしかない土、その風土で育つ植物、そこに住まう微生物をものづくりという風呂敷で包み込んでみたとき、そこには土地の記憶が宿る。それをバトンとして、次の担い手が起こす変化に託すことが絶え間ない地域性を産むはずだと思っている。
その一つの通過点が今年、麹になり、ドブロクになったのだと思う。
荒木を巡る100年の出会い。
その味わいに、拾ったバトンのゆく先を噛み締めてみるのも良いかもしれない。
その感じ方それぞれが、後ろ手に受けとったものを、担い手として前に送り出すきっかけになってくれたらとおもうから。